2010年10月21日木曜日

とりあえずこっちは更新停止

自分のブログは、全てI am alive.にします。

2010年9月29日水曜日

精華大学紀要に論文を「査読論文」として掲載しました。

中川克志 2010 「[査読論文] 実験音楽の成立と変質-ケージを相対化するロジック」 『京都精華大学紀要』37(2010年9月):3-22。

書誌情報等は、ここを、本文はここをご参照ください。
参照:京都精華大学:インフォメーション:大学からのお知らせ:[教職員の方へ] 『京都精華大学紀要』第37号刊行のお知らせ
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この論文の目的は、Aesthetics(と京都市芸)の論文と同じくケージを相対的に距離を置いて理解すること、です。そのために、ケージ的な実験音楽に対する内在的批判として1970年代のサウンド・アート(ビル・フォンタナ)を取りあげて検討しました。

「実験音楽」は「音楽的素材の拡大という戦略」と「“音をあるがままにせよ”という原則」を持つジャンルで、フルクサスの音楽やミニマル・ミュージックに継承されることで「ケージ的な実験音楽」の系譜を形成した、しかし、その戦略と原則は齟齬をきたすものだったし(音楽的素材を拡大することで“意図的な音響”を楽音として利用することも必要となるが、それは“音をあるがままにせよ”という原則によって阻害されるという問題があった)、その齟齬は70年代以降のサウンド・アートによって明確化した、ということを主張しました。

僕の手柄は、実験音楽において音響が社会性を喪失しなければならなかった理由として「音楽的素材の拡大という欲望を追及する必要があったこと」を指摘したことだと言えると思います。

反省点は、これはあまりにも「自律的」なモデルだってことです。同時代のメディア状況とか社会的背景とかを考慮に入れていないし、現実の活動はそんなに自律的には進行しないだろうし、現実の様々な芸術活動の実相にはあまり迫れていないことが反省点です。

でも僕は、ケージとかゲンダイオンガクとかから距離をとるために、一度こういう自律的なモデルを構築する必要があったのだと思います。

しばらくはこの主題には、真正面からではなく斜めから取り組むことにしたいと思います。しばらくは、直接的に「実験音楽」の細かなデータを精査する、とかはせずに、実験音楽を研究することには重要性はあるのか、とか、アヴァンギャルド音楽について今言及することにはなんの意味があるのか、とか、そういうことから考え直すことにして、さしあたりは、クリスチャン・マークレイとか大正期の蓄音機受容の諸相とかを調べていこうと思います。

とはいえまたそのうち近いうちに、ゲティ・ミュージアムのアーカイヴに行って9 Eveningsの調査とかしたいです。
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この論文との付き合いも、前にAestheticsに載せた論文以上に長いです。

博士論文の一章と六章をまとめ直した論文で、一章の元になる論文を書いたのは博士後期課程1年目のことだし、六章の元になる論文を書いたのは留学中に書いた論文の元になる論文で、それは渡米前に城陽で結論が見えないまま書き始めた論文(Aestheticsにのったものと同じもの)なので、2003年度に書いていたものです。つまり、これ、ジョン・ケージの研究を始めた時からの付き合いになるわけです。10年以上。

うわぁ…。

ちょうどこの論文の発表場所を探していたところ、2010年度から京都精華大学紀要が査読付き論文を掲載することになったことを知ったので、2009年度に紀要論文を載せてもらったばかりだけど、またお世話になることにしたのです。

いや、こいつに行き先ができて良かった。

2010年5月7日金曜日

Aesthetics (Online Version) に論文を掲載しました。

NAKAGAWA, Katsushi. 2010. “What is 'sounds which are just sounds'? : On the Acceptance of John Cage's Indeterminate Musical Works.” The Japanese society for aesthetics, ed. Aesthetics (Online Version). 14 (April, 2010): 42-54.

美学会の国際版『美学』のオンライン版に、過去の日本語論文の英訳を掲載しました。元論文はこれです。
中川克志. 2008a 「『ただの音』とは何か?-ジョン・ケージの不確定性の音楽作品の受容構造をめぐって」 京都市立芸術大学美術学部(編)『研究紀要』第52号(2008年3月):1-11。

書誌情報等は3.学術論文 (Audible Culture)をご参照ください。本文とアブストラクトは、美学会のウェブサイトをご参照ください。
→[Abstract] [Text (PDF)]
日本語論文の英訳なので、日本人は読まないだろうけど英語圏の研究者に自己紹介するときに便利、という代物です。

この論文では、「ただの音」という表象の成立条件を確定することで、ケージの「実験音楽」を相対化しようとしました。
そのために、ケージの不確定性の音楽作品の成立条件を「音楽作品の同一性」の問題圏から考察する、ということをしました。
今読み直すと、やたらふつうのこと(ケージの「ただの音」は、そう命名された虚構に過ぎないってこと)を、かなり形式的に(音楽作品の同一性を巡る議論やL.ゲアの音楽作品論を持ち出して)議論している感もあります。

とはいえこの論文は、ケージと音楽作品概念に関する議論よりもむしろ、90年代後半以降の「音楽学的なケージ研究」に対する批判としては、今でも機能するんじゃないかと思います。それらのケージ研究が、ケージの音楽の中でも不確定性の時期以外の、「楽譜」のようなものが作られるものしか扱えないのは、ある種の楽譜中心主義イデオロギーから脱していないからだ、と批判するものとして。
とはいえ今や、必ずしも「楽譜」研究ではないゲンダイオンガク研究も出てきているようですが。

今なら、ケージを相対化するためには、違うアプローチをとると思います。ケージの音楽作品の同一性云々とかではなくて、「変な音楽」が「変」と感じられる美的条件を考える、とか。
もしかしたらこの論文は、僕がケージ的な実験音楽から距離をとるために役立ったかもしれないです。


この論文とはけっこう長い付き合いです。
もともと2003年に城陽に住んでた頃に書きはじめたものが元論文だけど、その後、色々ドタバタがあったので、発表できたのは、2006年に京都美学美術史学会で発表した時で、それを京芸大の紀要に書かせてもらいました。
これは、基本的には、その英訳論文です(多少縮小してます)。

2010年4月8日木曜日

近大の紀要に論文を書きました。

中川克志 2010 「雑誌『音楽芸術』における電子音楽をめぐる二つのレトロ・フューチャー-電子音楽とコンピュータ音楽輸入時の進歩史観の変質?」 近畿大学文芸学部(編)『文学・芸術・文化』21.2:210-236。

前の精華の紀要論文と同じで、これも去年の春に書いたものです。
書誌情報等は3.学術論文 (Audible Culture)をご参照ください。本文もあります。

2007年に博士論文を書き終えた後、とりあえず「日本でできるアーカイヴ調査」と「1960年代の現代音楽の受容状況の調査」をしたいと思って、『音楽芸術』の1950‐60年代のものを調査してそこで見つかったテーマをまとめたものです。
「電子音楽」と「コンピュータ音楽」が日本に導入された頃、1954年と1967年に書かれた二つのレトロ・フューチャーを比較することで、どんな音楽の未来が想像されていたかをまとめて比較しました。けっこう単純な議論でここから大きな展望が開けるといった類の論文ではないですが、たぶん、日本の電子音楽に関心のある少数の人には便利なものになっただろうと思ってます。

2007-2008年は50-60年代の『音楽芸術』を通読してたのですが、一昔前の雑誌は、現在と物事のパースペクティヴが違うので面白いですね。
幾つかの課題を出せたけど、それとは別に、この論文の続き(コンピュータ音楽とライブ・エレクトロニクスの受容状況を比較したもの)が、10月に出る京都造形大の紀要に載るはずです。
また「日本でできる雑誌調査」という研究手法にはまったこともあり、ちょっと別の関心から大正期の音楽雑誌を調査した成果が、京都国立近代美術館の研究紀要に出せるはずです(まだ修正中でどういうオチになるかよう分かりませんが)。

2010年2月6日土曜日

精華の紀要に論文を書きました。

中川克志 2010a 「音響記録複製テクノロジーの起源―帰結としてのフォノトグラフ、起源としてのフォノトグラフ」 『京都精華大学紀要』第36号:1-20。

がパブリッシュされたようです。
抜刷と本体を受け取りました。

去年の3月に書いたものです。
書誌情報等は3.学術論文 (Audible Culture)をご参照ください。本文もあります。
2008年3月末に復刻(?)されて、「こわい」と評判だった「1860年の声」(これについてはここ参照)を話のきっかけに、フォノトグラフ以前と以後の音響再生産テクノロジーを取り巻くコンテクストを整理しました。
1.FirstSounds.orgで公開されたスコットのフォノトグラフに関する特許文書を読んでスコットのフォノトグラフを概観し、
2.次に音を視覚化しようとするパラダイムの帰結としてフォノトグラフを位置づけるために聾教育と音響学というコンテクストに言及し、3.最後に今日的な音響録音複製テクノロジーの起点として、口モデルから耳モデルへの転換の起点としてフォノトグラフを位置づけるために、口モデルの幾つかの系譜(テレフォン、オートマタ、自動演奏楽器)を概観しました。

けっこう自分のための論文で、スターンのAudible Pastの一章を他の文献も参照しつつまとめたみたいな論文です。
でも、個人的に、この時期の音響テクノロジーのコンテクストをコンパクトに概観した文章が欲しかったので、この論文をパブリッシュ出来て良かったです。

しばらく紀要論文が何本か続けて出ます。これは聴覚文化論関連で、次はゲンダイオンガク関連。その次にサウンド・アート関連が出るかな?という感じです。まだしばらく、自分の専門領域は幾つかに分けたままにしておきます。

2009年11月27日金曜日

4.MP3と音楽のネットワーク化-3.水のような音楽?

1.とりあえず、まとめ


 音楽のためのメディアは、大まかに、レコード、磁気テープ、CD、デジタル情報(MP3)へと進化してきた。私たち消費者と音楽の間にあるインターフェースの進化を、19世紀以降の音響テクノロジーは音楽を大衆化して個人化したという物語の中で理解してみたい。安易な物語ではあるが、安易だからこそ、今の音楽を取り巻く状況や音響テクノロジーの歴史について考えるための出発点を提供してくれると思う。
 レコードは音楽を小売商品に変えた。レコード産業は音楽産業として成長し、レコードは消費者が音楽に接する身近なインターフェースとなった。レコードの登場は音楽を(楽譜を見ながら家庭で演奏できない人々にとっても)小売商品に変え、個人が家庭で消費できるモノに変えた。レコードは音楽を大衆化したのだ。
 磁気テープは音楽の生産、流通、消費を個人化した。LPレコードやラジオなどの再生メディアとテープ・レコーダーを一緒にした家庭用オーディオ・セットが発売されることで、家庭ダビングの時代が始まった。消費者が自分の好きなように、市販の音楽を扱えるようになったわけだ。さらにカセット・テープ、カー・ステレオ、ウォークマンが登場することで、音楽はいつでも、どこでも、手軽に、そして個人的に消費されるものになった。
 音はデジタル化されることで、音楽の生産、流通、消費の個人化という傾向はますます先鋭化していった。「レコードとしてのCD」が「デジタル情報のための容器としてのCD」に変化することで、音楽とそれが記録される物理的媒体との結びつきは脆弱化し、音楽はデジタル情報として操作されるものになった。そして消費者は、デジタル情報としての音楽を、自分の好きなように扱えるようになったのだ。
 MP3というサイズの小さなファイル・フォーマット(あるいはそれ以外のデジタル音声のための圧縮音声ファイルフォーマット)が登場することで、消費者は格段に容易に、(デジタル情報としての)音楽を取り扱えるようになった。MP3形式のデジタル情報としての音楽は、無限に音質劣化無しに複製されることで、またインターネットのネットワーク上で流通して時間と空間の制限を越えることで、「消費財」としての性格を根本的に変えることになった。今や、(違法な場合も含めて)音楽を入手するコストは限りなく無料に近づきつつあるし、音楽を入手したり音楽が流通する経路は根本的に変化して多様化したのだ。

2.「水のような音楽」


 こうした状況を考えると、今や音楽は「水」のようなものになった、と言っても構わないだろう。(「水のような音楽」というフレーズは、クセック・レオナルト2005が教えてくれたフレーズだ。これは日本の状況を扱うものではないが、インターネット・テクノロジーが浸透した社会における音楽について、明るい未来を描き出してくれている、魅力的な分析だ。)今やインターネットに接続できる環境下なら、安価に(時には無料で)どこからでも音楽を入手できる。インフラさえ整備されていれば、ほとんど無料でほとんどどこからでも入手できるのだから、音楽は水道水のようなものになった、と言っても構わないだろう。(CDやレコードといったパッケージ・メディアは、言わば「瓶詰めのペリエ」だ。)パッケージ・メディアが欲しければ、少しお金を払えば良い。しかし、iPhoneやスマートフォンやケータイを使えば安価に(時には無料で)音楽を入手できる。小売商品としての音楽は「水」のようなものに「も」なったのだ。

3.「水のような音楽」?


 小売商品としてのCDが「水」のように安価にどこからでも入手できるようになったのだとすれば、「パッケージ・メディア」は無くなってしまうのだろうか?おそらく完全になくなることは(少なくともまだ数年は)ないだろう。CD-Rによる複製が可能になりファイル交換ソフトが一般的に知られるようになった頃、CDの売り上げ減少に反応(?)して、「音楽の終焉」が叫ばれたことがあった。(CD-Rの違法複製やファイル交換ソフトの違法な使用のせいで)CDの売り上げが減少し続ければ、「音楽が死んでしまう」というキャンペーンだ。しかしもちろん、CDの売り上げと音楽の生死は無関係だから、音楽が死ぬわけが無い。また、音楽を作ったり演奏したり聴いたりする人間の活動を、何らかのやり方で営利活動と結びつけられなくなることもあるまいから、CDの売り上げがどれほど減少しようとも、音楽産業が死ぬこともあるわけが無い。死ぬとすれば、オンラインを経由せずにパッケージ・メディア販売に「だけ」依存する業態だけだろう。
 目に付くところで言えば、小売商品としてのCDを販売する大型レコード店や町の小さなレコード屋は確実に衰退しつつある。残念ながら、今の町の風景は、私が20前後(今から15年弱前)に知っていた町の風景とは全くの別物である。(中古レコード屋がない、という点で。)おそらく、店舗を構えている町のレコード屋が潰れていく大きな原因は、デジタル販売の増大よりもむしろ、店舗を構えないネット販売にシェアを奪われたからだろう。つまりAmazonなどによるオンライン販売のことだ。実際にモノを取り扱うコストが必要なパッケージ・メディア販売においては、店舗を構えないオンライン販売が有利なことは言うまでも無い。タワレコやHMVといった実店舗を持つ会社もオンライン販売は行っている。そしてまた、オンライン販売を行うとしても、パッケージ・メディアの販売は、デジタル・データの販売とも競合しなければいけない。価格競争の結果、パッケージ・メディアの値段が下がることは、消費者としてはありがたい。(amazonでCDを購入したほうがiTunesStoreで購入するより安い場合も多い。)とにかく、パッケージ・メディア販売に「だけ」依存する業態が難しい状況に追い込まれていくだろうことは確かだ。

 とはいえ、実際のところ、パッケージ・メディアがすぐに消滅することはあるまい。私もまだ、パッケージ・メディアと全く無縁になったわけではないし、(もはやCDを使って音楽を聴くことはほとんどないが)新しい音楽を購入する時にCDを購入することはまだ多いからだ。また、CDを購入してCDで音楽を聴き続けている友人も多い。また、そもそも音楽を水として扱うために音楽配信やネットラジオを利用するには、パソコンや携帯でインターネットに接続する必要があるが、例えば私の高齢の両親や親戚たちが、いまさらパソコンを音楽再生のために日常的に使いこなせるようになるとは思えない。それに日本の場合、(良し悪しは別にして)音楽配信やネットラジオが浸透していくには多くの点で著作権法が障壁となって立ちふさがっている。
 つまり、(少なくともまだ数年は)全ての音楽が水のように扱えるようになることはないだろう。おそらく現状と未来は「多様化した」のだ。

 私が中学生の頃、私が住んでいた地方都市では、町のレコード屋では国内版CDしか買えなかった。高校生になって外資系レコード店が進出して来て、輸入盤を安く簡単に買えるようになった。1994年に大学生になって、私は街の中古レコード屋に通うようになった。しかし1998年に大学院生になってインターネットを使ってamazonでCDを買うようになり、私はほとんどレコード屋に通わなくなった。レンタルCDを借りると、高校生の頃は磁気テープに録音していたが、大学生になってPCを使うようになってからは、MP3形式でPCに保存したりCD-Rにダビングするようになった。あるいは2008年以降、私は、スマートフォンを使い始めるようになり、今は、自分がどこにいても、You Tubeなどに接続して(音質は悪いかもしれないが)ほとんどあらゆる種類の音楽を試聴できるようになっている。(実際に外でスマートフォンを使ってYouTubeに接続することはあまりないが。)消費者としての私にとって、音楽に触れるインターフェースはこのように「多様化」し、あるいは「進化」してきた。
 「現状」を一枚岩として理解するつもりはないし、音楽の未来がどうなるかは、正直、よく分からない。分からないのだから、とりあえずは楽天的に肯定的に考えておきたいと思う。テクノロジーは、100年以上かけて音楽を私たちにとって身近なものにしてくれた。この先も、きっと何か面白いものを経験させてくれるに違いない。

2009年11月20日金曜日

4.MP3と音楽のネットワーク化-2.音楽のネットワーク化

1.音楽の入手経路の変化-オンライン上の音楽たち


 20世紀末から21世紀初頭にかけて音楽文化は様々な点で変化した。すでに90年代半ばまでに、記録メディアとしてのCD規格はファミリー・メンバーを増やし、そこに記録される音楽はPC上で扱われることでデジタル情報として操作されるものとなっていた。音楽が記録されるメディアと音楽との物理的な結びつきは脆弱化し、音楽をデジタル情報として扱うことで、音響生産・流通・消費テクノロジーは一般大衆化していた。消費者が、自分の好きなように(デジタル情報としての)音楽を扱える状況は整っていたわけだ。さらに(日本では)90年代後半にインターネット・インフラが整い、P2P技術やデジタル・コンテンツ利用技術が開発されることで、音響生産・流通・消費テクノロジーの一般大衆化の傾向には拍車がかけられたと言えよう。

 「音楽のネットワーク化」とは何だろう?それは、「音楽のデジタル化」によってすでに90年代半ばまでに可能となっていた、音響生産・流通・消費テクノロジーの一般大衆化の傾向に、1)更に何か新しい性質を付加したのか、それとも 2)その傾向を更に「激化」させたに過ぎないのか、あるいは 3)「その傾向を激化させること」こそが「ネットワーク化」の本質だったのか、どれなのかは即断できない。これは「インターネット・テクノロジー」の文化的位置づけにまつわる大きな問題だし、何よりもまだ、判断するには時期尚早の問題だろう。とにかく、インターネットのインフラ環境が整備されることで、音楽を入手するコストは安価になり、音楽を入手する経路や音楽が流通する経路はそれまでとは比べ物にならないくらい多様化したことは確かだろう。

 以下ではとりあえず、店頭でCDを買うことこそが普通の音楽入手方法だった10代を過ごした私が、1990年代末以降の音楽文化の変化の中で目に付いたものを列挙しておくに留めておきたい。

以下の参考文献


ナップスターについては、シリコンバレーの狂騒に包まれていたナップスター社の設立から終焉に至る活動を、メン2003が存分に伝えてくれている。また、1990年代以降の日本の音楽を取り巻く状況については烏賀陽2005a;烏賀陽2005bが参考になる。しかし、それ以降の、パッケージ・メディアに依存しない音楽のあり方について考えるためには、津田2004と津田のブログ音楽配信メモが最重要となる。音楽配信の日本における売上実績の数値については、本文中にもある通り、社団法人日本レコード協会のウェブサイトを参照した。また、iPodに関する言及はレヴィ2007を参照した。

1.CD-R


 PCでCD-Rを作成できるようになったこと、(パッケージは複製できないけれども)同じ音質のCD(CD-R)を複製・作成できるようになったこと。これは衝撃的な経験だった。車で聴くために、ビーチ・ボーイズやT.Rexなどその頃の私が好きだった洋楽と、友達のバンドの音源を一緒にしたマイ・ベストを作成したのが最初だったと思う。(著作権法上「私的複製」することは認められているので、CD-RやMP3を用いた音楽CDのコピーの全てが「違法」ではない。)CD-Rは、間違いなく、消費者が好きなように音楽を扱えるようになったテクノロジーだ。CDジャケットやCDレーベルは無理だが、元のCDと全く同じデジタル情報が記録されたCD-Rを消費者個人が作れるようになったのだから。
 とはいえ勿論、CD-Rはあらゆる方面から歓迎されたわけではない。CD-Rを用いた「違法」コピー(とファイル交換ソフト)は、Jポップバブルの崩壊(2000年代初頭)の主な原因とされた。日本のJポップバブルが頂点に達した1998年に、オーディオ・ディスク生産額はピークを迎え約6075億円に達した。それ以後、音楽CDの売り上げは毎年下がり続けており、2007年のオーディオ・ディスク生産額は約3333億円である。また、私は、先日、オリコンシングルチャートで20位が3000枚未満、という衝撃的なニュースを知った。Jポップバブルは崩壊し、CDの売り上げは減少の一途を辿っているのだ。その原因が何かは一概には言えまい。そもそも90年代のJポップバブルが「バブル」でしかなかったのかもしれないし、音楽産業や日本の文化構造の質的な変化が原因かもしれないし、やはりCD-Rによる「違法」コピーが原因だったのかもしれない。
 さしあたり今は次のように考えておきたい。CD-Rが音楽に与えた影響(音楽産業に与えた悪影響)をどのように判断すべきかは、判断する人間の倫理観というよりも、音楽産業(狭くはCD小売業)に対して持つ利害関係によって異なるだろう。CD-RはCD売り上げ減少の一因ではあろうが、だからといって今更CDを絶滅させることは不可能だろうし、コピーー不可能な(はずの)CCCDの導入は失敗だった。CD規格として認められず、しばしば通常のCDプレイヤーで再生できなかったCCCDは、CDをリリースするミュージシャンや消費者から嫌われ、消費者が(少なくとも私が)CDから遠ざかる一因となった。CD-Rが音楽に与えた変化はまだ沈静化したわけではないので即断は避けるが、自分の10代にとって重要な意味を持つCD小売業の将来は、ある種のノスタルジックな気分も込めつつ、注目していきたい。

2.ファイル交換、P2Pソフト


 1999年初頭に公開されてすぐに爆発的に流行した、ファイル交換ソフト「ナップスター」は、音楽流通経路にある種の革命を引き起こすきっかけになった。ナップスターを使うと、登録ユーザーのPCにあるMP3ファイルがデータベース化され、ユーザーはそれを検索して自分が聴きたい曲をダウンロード(他の登録ユーザーと「共有」して「コピー」)できた。ナップスターは爆発的に流行し、最盛期にはアメリカの大学生のうち73%が利用したという調査結果(2000年5月)すらある。ナップスターを、廃盤になって入手できない過去の音楽を入手するために積極的に用いた音楽マニアもいたし、ナップスターの理念(自由で無料の音楽、プロモーションとしての音楽交換等々)を支持したミュージシャン(オフスプリングやパブリック・エナミーのチャック・Dなど)もいた。しかし音楽業界や何人かのミュージシャン(メタリカなど)はナップスターを厳しく批判し、法的にもナップスターは否定された。というのも、ナップスターは、著作権を無視した違法なファイル交換が日常的に行われる場所でもあったからだ。一説には流通量の約90%が違法だった。ナップスターは1999年12月に全米レコード工業会(RIAA)に提訴され、その裁判闘争の間に徐々に影響力を失い、2001年7月にはサービスを停止した。
 ナップスターは、良くも悪くも、その後登場した、サーバーを用いない新しいタイプのP2Pソフトウェア(GnutellaやKaZaaなど)の先駆的存在だ。ナップスターがなくなっても違法ファイル交換が根絶されたわけではない。また違法行為を可能とするツールである以上、無条件にP2P技術を肯定できるわけでもない。しかし少なくとも、ナップスターは、インターネットを通じてコンピュータを接続してファイルを共有することで、レコード会社を経由せずに、音楽マニアたちが独自の音楽流通ネットワークを作り出すことを可能にした技術でもある。P2P技術は人々が独自の(音楽流通)ネットワークを作り出せるツールでもあった。「テクノロジーは音楽を大衆化して個人化した」という物語が安易なことは自覚している。しかし私は、レコード会社を経由せずに作られる音楽流通ネットワークが今後どのように展開していくのか(そもそもそのようなネットワークは成立するのかどうか)、楽しみにしている。

3.You Tubeなどの動画共有サイト


 YouTubeは2005年2月15日に設立されたサービスだ。今の私たちの生活への浸透具合を考えれば、驚くほど最近の設立だろう。YouTube以降、私は、新しいCDや音楽を聴いてみたい時には、レコード屋での試聴やラジオやテレビでのプロモーションを待つのではなく、まず、You Tubeで検索してみるようになった。音質は悪くとも、自分の家で好きな時に何度でも、どの店にあるよりもたくさんの種類の音楽と曲を、無料で試聴できるからである。
 YouTubeで試聴して気にいったものはCDもしくは高音質のデジタルデータを購入する。しかし気に入らなかったものは購入しない。当たり前のことだが、このおかげで「買って初めて聴いて、がっかりする」ということがなくなった。
 またYouTubeのおかげで、私は、あまり「音だけから音楽を知る」という経験をしなくなった。つまりある音楽を知り始める入り口が、「音だけ」よりも「音+映像」からの場合が多くなった。もちろんこうした経験は初めてではなく、MTVやテレビでのプロモーションからある曲を知る場合もそうだった。しかしYouTubeから音楽を知る機会が増えるにつれ、音楽経験における視覚経験の重要性が飛躍的に高まった。私が新しい音楽を知るきっかけが変質したのだ。

4.ネットラジオ


 また、私が最近も個人的に気に入っているサービスに「ネットラジオ」というものがある。この種のサービスでは、たいてい、自分専用のラジオ局を作ることができる。例えば自分の好きなミュージシャンを一人指定すると、自分専用のネットラジオ局ができて、自分が選んだミュージシャンの音楽と似た傾向の音楽を勝手に選んで再生してくれる。そこでは、気に入った音楽の情報を教えてくれるページや、その音楽をオンラインで購入できるページへのリンクが用意されている。海外ではPandora, Jango, AccuRadioなどのサービスが有名だが、日本では著作権の問題がありほとんど普及していない。(唯一知っている似たようなサービスに、Yahoo!ミュージック - サウンドステーションがあるが、あまり融通が利かず使いづらい印象がある。また、日本版のLast.fmもあるが…。)
 この先どうなるかはよく分からないし、そもそも日本で可能なサービスなのかどうかも分からないが、私個人は今後も楽しんで使っていきたいと思っているサービスである。

5.音楽配信


 PCやインターネットというテクノロジーは、違法コピーやファイル交換ソフトという問題をもたらしただけではなく、「音楽配信」という新しい音楽産業ももたらした。音楽配信とはインターネットを通じて(無料の場合もあるが多くの場合は有料で)楽曲を配信するサービスである。サービスそのものの歴史は意外と古く90年代後半から模索されていたが、インターネット上で音楽をコンテンツとして販売する可能性が意識され始めたのは、1998年頃からMP3が普及したことがきっかけだろう。1999年のナップスター騒動の影響もあり、米国で著作権管理の問題をクリアした音楽配信サービスが始まるまで少し時間がかかったが、2001年12月には、Rhapsodyなど幾つかの合法な会員制音楽配信サービスがスタートした。
 とはいえ、音楽配信サービスが一般メディアでも話題になるようになったのは、2003年4月にアップル社のiTune Music Store(現iTune Store)がサービスを開始してからだ。1曲99セントでダウンロード販売を行ったiTMSは、サービス開始後一週間で100万曲、16日間で200万曲、年末までに2500万曲をダウンロード販売した。カタログ数が豊富で手頃な価格(日本では1曲150-200円)で、ユーザーが使いやすいデジタル著作権保護機能を提供した米国では、最もメジャーな音楽配信サービスとなった。
 その後、Amazon.comやiTunes PlusからDRM-Freeの音楽ファイルが販売されるようになった。デジタル著作権保護機能を持たないデジタル・ファイルが消費者に対して販売されるようになったのだ。安価で使い勝手が良いならば合法なデジタル音楽ファイルを購入しようとする消費者は多いだろう。DRM処理されていないファイルなので、消費者がファイル交換ソフトを通じて無数の人間に配布することは可能だが、そうして無数の人間にコピーされたファイルには電子透かしが組み込まれており、元々のデジタル・ファイルを流出させた人間が誰かは分かるようになっており、著作権侵害という違法行為に対する対策は取られている。とはいえ、自分自身のPC同士の間なら何度でもコピーできるなど、DRM-Freeの音楽ファイルの利点は計り知れないというべきだろう。
 また、「サブスクリプション・サービス」と呼ばれるサービスがある。これはオンライン上の音楽をストリーミングでダウンロードして聴き放題というタイプの音楽配信サービスで、米国では既に2001年にRhapsodyが登場している。日本でも、2006年4月から、合法化されてブランド名だけが残ったナップスター社と、本社が潰れる前に独立した日本のタワーレコード社が合同で提供している。毎月の会費を払い続けている間は、事業者が用意した楽曲を全て自由に聴いて自由に自分のパソコンにダウンロードできるサービスが、今後どのように成長していくのかは分からないが、インターネット環境の中で維持される音楽産業の一形態として重要である。
 これらの音楽配信事業がどの程度の速度で音楽産業界を支配していくのかは分からないが、インターネット環境さえ整備されていれば音楽を入手できるのだから、今後、商品としての音楽が流通するメインの経路となるのではないだろうか。

6.ミュージシャンのレーベル離れ


 こうした傾向から、私は、音楽産業としてのレコード産業は消滅するかもしれないが、音楽産業と、そして何よりも「音楽」そのものはなくならないだろう、と考えるようになった。レコード会社はなくなっても音楽家は活動し続けてくれることを示す事例だからだ。
 私が考えているのは、有名なミュージシャンが、自分の新作を無料で提供したりウェブサイトから直接販売するようなケースだ。例えばプリンスは、2007年7月15日にイギリスの「Daily Mail」紙という新聞の日曜版付録として、無料で、自分の新作アルバム『Planet Earth』を配布した。プリンスはこのアルバム配布を「マーケティング」の一環として位置づけている。またナインインチネイルズは自分のウェブサイトから自分の作品を直接ダウンロード販売している。あるいは少し違う事例だが、マドンナは2007年7月に、所属レーベルのワーナー・ミュージックを離れ、レコード会社ではなく、イベント/ライブ運営を手掛ける「ライブ・ネーション」という企業に移籍した。こうしたやり方で彼ら/彼女らは、ライブなどCD売り上げ以外の部分で利益を上げようとしたり、レコード会社を通さずに直接消費者に音源を売ることで利益を上げようとしているのかもしれない。CDはすでにプロモーションの道具でしかないのかもしれない。こうしたやり方で利益を出せるのは、すでにある程度有名になったミュージシャンだけではないかとも思うし、こうしたやり方で新たに有名なミュージシャンが作られるプロセスが私には想像できない。とはいえ、新しい音楽を聴くためにはレコード会社から販売されるレコードやCDを購入する以外には方法がないのが当然だった人間にとっては、こうした傾向は、この後の展開を楽しみにさせてくれるもので、大いに色々なミュージシャンに試みて欲しいものの一つである。。

7.DAP (Digital Audio Player)


 音楽配信サービス成立の(そしてMP3普及の)背景の一つは、DAPが普及したことだ。現在のDAPの嚆矢となったのは1998年に市販されたMPMAN(仕様は内蔵32MB; 64MB)だが、DAPが一般に認知されたのは、アップル社のiPodがきっかけだ。2001年11月に販売されたiPodは、当時ではすば抜けて大容量だった(5-20GB)し業界最低ラインの容量単価の商品だった。そのiPodは、発売後2ヶ月で12万5千台以上を販売した大ヒット作となった。iPod、それに先立って2001年1月に公開された音楽管理ソフトiTunes、そして2003年にサービスを開始したiTune Music Store(日本では2005年8月にサービスが開始された)、アップル社の音楽関連事業は、商業的に大成功した、音楽を入手する新しいやり方だ。音楽関連のマーケットにおける「アップル」という商標使用の問題、SonyのWalkmanとの競争など、個人的に関心のある話題も多いが、その最大の文化的意義はなんだろうか?まだ明確には言明できまいが、例えばレヴィ2007のように、(文字通り自分音楽ライブラリー全ての曲を、あるいは、文化的構造を「シャッフル」すること、と考えても構わないかもしれない。


2.音楽配信:日本の場合


 日本では「音楽配信」は、米国とはかなり違う展開を見せている。日本でiTMSがサービスを開始したのは2005年8月で、その他の国産音楽配信サービスも含めて、有料音楽配信売り上げが増えてきたのは2005年以降のようだ。社団法人日本レコード協会が公開している「有料音楽配信売上実績」の統計は2005年以降のものだが、それによると、日本の有料音楽配信は、2005年から2007年にかけて、343億円→535億円→755億円と急激に成長している。同時期のオーディオ・レコードの売り上げ額は3672億円→3516億円→3333億円と継続的な微減状態だ。2006年の有料音楽配信の売上げ額(535億円)は、初めてCDシングルの売り上げ額(508億円)を上回った。
 しかし日本の音楽配信では、インターネットを通じてPCにダウンロードする音楽配信より、「着メロ」や「着うた」など携帯電話向けの市場の方が圧倒的に大きい。ケータイ系とパソコン系の市場規模は、2004年は約20倍、2005年以降も約10倍近い開きがある。
 これは何を意味するのだろう?詳しく分析できているわけではないが、これもまた音楽入手経路が多様化した帰結の一つなのだろう。個人的には音質は悪いし料金も高いケータイ系の音楽配信には興味はないが、ケータイ系の音楽配信は、独自の進化を遂げた日本のケータイ文化における優れたサービスだ。おそらくそもそも目的が違うケータイ系とパソコン系の音楽配信サービスの優劣を比べることにはあまり意味がないのかもしれない。ケータイ系の音楽配信が持つ、パソコン系の音楽配信とは違う存在意義については、ケータイ系の音楽配信に詳しい誰かの考察を待つことにしたい。