2009年11月13日金曜日

4.MP3と音楽のネットワーク化-1.MP3の登場

1.MP3-小型化したデジタル情報としての音楽


 既に述べたように、「レコードとしてのCD」が「デジタル情報のための容器としてのCD」に変化した原因として、1.CD規格の多様化 と、2.PC+CDドライヴ(PCが装備されて音楽CDをデジタル情報として利用できるようになったこと)、とい二つの要因を挙げることができる。1990年代後半にPC用のCD-Rドライヴが普及してからは、(違法な場合もあるが)個人が、音楽CDを音質劣化なしにコピーしてCD-Rに複製できるようになった。PCを経由することで、CDは、単なるレコードが進化した音楽の記録媒体から、デジタル情報であれば何でも記録できる記録媒体となり、音楽とそれが記録される物理的媒体との結びつきを脆弱化させた。
 音楽をデジタル情報として扱うこうした傾向をさらに推し進めたのが、MP3というファイル形式(あるいはそれ以外のデジタル音声のための圧縮音声ファイルフォーマット)の登場である。今や、PCを用いて音声を再生したことがある人々のほとんど全員が、あるいは、PCを余り使わないとしても多少なりとも音楽に関心があって何らかの音楽ソフトを購入しようとするものなら誰でも知っているであろう「MP3」。MP3の歴史はけっこう古く、70年代には研究が始まり1989年にはドイツで特許がとられている。しかし一般に認知され始めたのは90年代以降だろう。1995年にはPC上でMP3ファイルを再生するソフトウェアが登場し、1998年に特許が解放されて無料でMP3ファイルを再生するプレイヤーが提供され始めたり様々に用いられるようになった、PCやインターネット上で扱われる音楽ファイルのデファクト・スタンダードとなった。
 このMP3というファイル形式の最大の特徴はそのファイル・サイズの小ささだ。MP3というファイル形式は、音声ファイルの音質をほとんど損なうことなしに、音声ファイルのサイズを10分の1程度にまで圧縮することができる。90年代後半まで個人向けHDDの容量は(恐るべき速度で増加していったが)1GB (=1000mb)以下のものが普通だった。圧縮されていない音楽CDの音声ファイルを記録するには一分間に約10mb弱の記憶容量が必要なので、記憶領域が1GBしかなければ、音楽CD音質の音声ファイルはせいぜいCD一枚程度しか記録できない。しかしMP3形式のファイルならば10枚以上記録できるわけだ。MP3というファイル形式(のファイル・サイズの小ささ)は、90年代後半に、PC上でデジタル情報として音楽を扱うために必須の条件だったといえよう。
 MP3というファイル形式のファイル・サイズの小ささは、音楽が流通するやり方に大きな影響を与えた。MP3が登場したおかげで、一般の消費者がデジタル情報としての音楽をインターネットを通じて複製・配布・交換したり、DAP (Digital Audio Player)に記録して外に持ち出せるようになったからだ。非圧縮音声ファイルしかなければ、音声ファイルをインターネット上でやり取りするのも、普通はHDDよりも小さな記憶領域しかないDAPで音声ファイルを扱うのも、約10倍は労力が必要で面倒で難しかったはずだ。MP3のおかげで、音楽は消費者間で複製され配布され交換されるものとなり、ネットワーク化していったのだ。インターネットで流通するにはCD-R代金さえ不要なのだから、MP3は音楽を低価格化させるきっかけになったと言うこともできるかもしれない。

2.MP3-音楽消費の個人化:デジタル情報としての音楽再生


 MP3は個人が音楽を簡単に流通させることができるネットワークを実現しただけではない。MP3は、音楽消費を個人的な趣味志向に従うものへと変えた。MP3は音楽消費を個人化した。三点挙げておこう。
 まず、MP3を用いて音楽を消費することで、物理的な制約がかなり消失する。デジタル情報としてHDDに記録・貯蔵されたMP3ファイルを再生するために、私たちは、いちいちパッケージからCDメディア取り出してCDプレイヤーにセットして再生する必要はない。ただPC上でMP3ファイルを選択してダブルクリックすれば良いのだ。別のミュージシャンやアルバムを聞きたくなれば、別のファイルをクリックすれば良いだけで、わざわざ棚から別のCDを探してくる必要はない。私たちは、CDという物理的な制約を気にせずに、あれやこれやのアルバム、ミュージシャンの曲を好きな順序で聴くことができる。1000枚のCDの全ての曲をランダム再生することも簡単にできるようになったのだ。
 また、MP3にはID3タグという付加情報が組みこまれており、これは音楽CDのTOC (Table of Contet)よりも格段に多い情報量を提供してくれるので、音楽消費を個人化するものとなった。ID3タグという仕様はMP3に初めから組み込まれていたわけではなく、1996年以降に組み込まれた仕様だ。当初は、音楽ファイルの曲名やアーティスト名、アルバム名、ジャンルなど7項目を10-20文字で記録できるに過ぎなかったが、以降、様々なヴァージョンの規格が作られ進化していった。ID3タグを付加情報として持つことで、MP3という音声ファイルは、ファイル名以外の付加情報-アーティスト名、アルバム名、ジャンルなど-に従って音楽を聞くことを可能とするデジタル情報となったのだ。ある一人のミュージシャンのアルバムだけ聞きたい時、もはや、何枚もCDが並んだ棚からそのミュージシャンのアルバムを全て抜き出してCDプレイヤーの横に並べ、一枚ずつ順番に聞いていく必要はない。IC3タグが適切に設定されているMP3を用いれば、簡単にあるミュージシャンのMP3ファイルだけを再生したり、あるジャンルの音楽だけを聴くことができる。例えば「ボブ・マーリー」という名前が設定されているファイルを全て聞くことも、「レゲエ」というジャンルであると設定されているファイルを全て聞くことも簡単に出来るようになる。もはやレコードやCDのライナーノートなどをいちいちチェックする必要はないのだ。(とはいえ、たいてい現実にはそれらのタグ情報が不適切な場合も多いが。)
 また第三に、(WiampやiTunesといった)PC上のオーディオ・プレイヤー・ソフトには、例えば、ある曲の再生回数を記録したり、ジャンルや過去に再生した日時等々の条件に沿って曲を自動的にリストアップするプレイリスト作成機能などを備えているものも珍しくない。インターネット接続環境があれば、その曲の「歌詞」を探したりその曲に関連するミュージシャンの音楽を買えるサイトに1クリックで行けるようになっている場合も多い。今まさに進化中のこれらのソフトの色々な機能を列挙して説明することは避けるが、こうしたソフトを用いた音楽消費はCDメディアを用いた音楽の聴き方とは全く異なるものであり、それがどのようなものになるかはまだ具体的には言えないが、「音楽聴取」に大きくて新しい変化をもたらすものであることは確かだ。
 MP3を用いることで、消費者は好きなように音楽を消費できるようになってきた。私たちはもはや、自分が好きな曲の入っているCDやレコードが棚のどの部分にあるのか覚えておく必要はなくなったし、CDという物理的な単位を超えてある曲とある曲を一つのグループとしてまとめ直すことも簡単にできるし、頑張ってマイ・ベストを作らなくともPC上で音楽再生ソフトが自動的に自分がよく聴く曲をリストアップしておいてくれるのだ。私は半ば無理やりに、事態を肯定的に理解しようとしているかもしれない。こうした「自由」が常に良いとは限らないだろうし、これは「自由」ではなく「MP3というファイル形式」による(一見そのようには見えないが)新しいタイプの「管理」なのだ、と考えることもできるだろう。煩雑かもしれないが実際に物理的なモノを使って何かすることの意味、無数にある音楽の中から苦労して自分のお気に入りを見つけることの価値、そういうものがあることも否定できまい。実際のところ、MP3を用いた音楽消費とは、音楽の付加情報こそがコンテンツとなったという、ある意味、転倒した事態を暗示しているのかもしれない。何にせよ、現在、個人が音楽を自由に好きなように使うテクノロジーと可能性を入手したことは間違いない。私は、今はまず、現状を理解するための枠組みが必要だと考えている。だからまずは、(乱暴で安易かもしれないが)楽観的で肯定的に現状を理解しておくことにしたい。

この部分の参照文献について


この部分は、私個人の経験と解釈に基づく枠組み設定だし、直接的に参考になる文献を見つけられなかったので、あまり参照文献を使用していない。MP3の歴史も各種文献から情報を拾ってきたもので、あまり整理できていない。
また、この「音楽とテクノロジー」を執筆して半年ほど後に、以下の二本のMP3論文を知った。
Sterne2003の後に、Jonathan Sterneは、MP3の文化的起源の探求に取り組んでおり、MP3というファイル形式の文化的背景を音響心理学的なパラダイムに求めているようだ。興味深い論だが、私の枠組みには直接的には影響しないので文献情報を記すに留めておく。スターンの次の本はこの発展となるらしい。

Sterne, Jonathan. 2006a "The MP3 as Cultural Artifact." New Media and Society 8:5 (November 2006): 825-842. http://sterneworks.org/Text/
---. 2006b. "The Death and Life of Digital Audio." Interdisciplinary Science Reviews 31:4 (December 2006): 338-348. http://sterneworks.org/Text/

2009年11月7日土曜日

J-GLOBAL登録情報を訂正

J-Grobalの登録情報を訂正し、リンクも訂正しました。
正しくはこちらです。
昔、博士課程の学生として京都大学に所属していた時に登録されていたJ-Grobalの登録情報にリンクしてしまっていました。
重複してたことに気づいてませんでした。
やれやれ。

2009年11月6日金曜日

3.音響録音再生のデジタル化-3.音響再生のデジタル化

-レコードとしてのCDからデジタル情報容器としてのCDへ

1.音響再生のデジタル化:レコードとしてのCDの登場


 消費者がデジタル録音によって記録された音響をデジタル・データとして使えるようになったのは、1982年に音楽CDが発売されてからだ。デジタル録音が登場してからしばらくの間、消費者が手にできたのは、デジタル録音されたLPレコードだった。それはアナログ再生されるものだった。しかしCDが登場して初めて、消費者個人の家庭でも音響再生はデジタル化された。レコードとしてのCDとは、既にデジタル化されていた録音を補完すべく、音響再生をデジタル化した革命だったのだ。
 音響再生がデジタル化されたことはどんなメリットをもたらしたのか。
 デジタル再生方式では、(デジタル録音方式と同様に)再生時の走行系の問題に起因するノイズや音の変調がほとんどなくなった。また、デジタル再生では音楽再生時の伝送系の信号損失を考慮しなくて良い。つまり、CDはデジタル・マスターそのものの音が再生可能な高品位の音響再生メディアなのだった。さらに、CDに記録されたデータはレーザー光線で読み取られるため、再生時に物理的な接触が生じない。それゆえCDとは、(理論的には)半永久的に同じデータを保持して再生音質を劣化させないメディアだったのだ。もはや何百回も同じレコードを繰り返して聴いたら音溝が擦り切れてしまう、というような不安は無用になった。
 このような音質の劇的な改良に加えて、CDは、音楽再生に本質的に革命的な機能をもたらした。それはTOC (Table of Content) を用いた再生機能だ。TOCはCD読み込み時に最初に読み込まれるデータ領域で、そのCDに記録されている曲数、全演奏時間その他のデータが記録されている。CDプレイヤーの機能によって異なるが、このTOCを用いることで、聴き手は、今聞いている曲が何曲目の何秒目かを表示させたり、ランダム・アクセス・プレイできるようになった。つまり任意の曲順に聞いたり、シャッフルして聞いたり、一曲だけあるいはCD一枚全てあるいは任意箇所だけ反復して聞いたりすることが可能になったのだ。このようなランダム・アクセス・プレイはレコードでは絶対に不可能だった、いわば聴取者の夢だった。CDという音響再生のデジタル化が、この夢を初めて実現したのだ。

2.デジタル情報としての音楽:デジタル情報の容器としてのCD


 CDというメディアは、必ずしも音楽のためだけのメディアでは終わらなかった。音楽CDはCD-DA (Compact Disc Digital Audio) と呼ばれる規格を持つコンパクト・ディスクで、1980年にソニーとオランダのフィリップス社が共同開発して規格化したものだ。以後、CDメディアを用いた規格がたくさん登場する。例えば、1985年にはコンピュータ用データ記録の規格であるCD-ROMが制定され、1988年にはアップルのパソコンがCD-ROMの読み取りに対応した。パソコンにCDドライヴが取り付けられたことで、人々は、CDに記録された様々なデジタル・データを利用できるようになった。また、1990年には写真記録用のフォトCD規格が、1993年には最大74分の動画と音声を収録できるビデオCD規格が定められた。レコードの代わりになるものとして登場したCDというメディアは、その後、音楽以外の様々な種類のデジタル・データの入れ物として発展していった。最も重要なCDファミリーの一員は、1989年に太陽誘電株式会社が規格を制定したCD-R (Recordable CD-ROM)だろう。当初、CD-Rはあまり注目されていなかったが、1996年以降、デスクトップパソコンにCD-ROMドライブが標準搭載されるようになった時期に急成長し、その頃からCD-Rのためのドライヴとメディア価格は低下し、急速に一般に普及していった。これ以降、パソコンを使って個人が、CD-DA(やその他の規格のCD)を作ることができるようになったのだ。
 正確には、パソコンは、1980年代前半から個人が音声を操作編集して音楽を作るために用いられていた。例えばMIDIというものがある。1982年に規格が制定されたMIDIは、今でもDTMをしようとする人にとっては基本的な知識の一つだ。当時のパソコンの性能の限界から、音響の録音・再生やリアルタイムでの音響処理はまず不可能だったし、たいていの場合、パソコンは「シーケンサー」として利用されるに過ぎなかったが、それでもMIDIは、個人が音楽を作るための強力なツールだった(し、今でもそうだ)。とはいえ、MIDIは音声録音技術ではないし、音楽制作手段としても限界が多いことも事実だ。個人が音声のデジタル情報を編集する技術を手に入れるためには、パソコンにCDドライブがつく必要があった。確かに、すぐにCD-DAに記録されていた音楽が全てデジタル・データとして処理されるようになったわけではない(し、今でもPCを経由せずにCD-DAを使用する人はたくさんいる)。しかし、CDドライヴが付いたことは、個人がCD-DAに記録された音楽情報をデジタル・データとして取り扱う端緒となったことは事実だ。パソコン上でCD-DAからデジタル情報を読み取り、さらにはそのデータを編集するソフトが登場することで、CDに収録されたデジタル情報としての音楽の編集可能性は格段に拡大した。ますます、CDはデジタル情報のための容器となり、音声録音・編集技術は個人化していったと言えよう。
 民生用CD-Rドライブが商品化されたということは、これまで完成品の形でしか消費者の元には届かなかった「レコードとしてのCD」を、個人が自由に作れるようになったということだ。音楽はデジタル化されることで、制作と消費の垣根は低くなり曖昧になっていったのだ。(参考文献について:CDファミリーの規格に関する歴史は、簡便な参考文献を知りません。私は、オンラインで読めるソニーの社史などを参照しました。他に信頼できる文献をご存知の方、ぜひともご教示お願いいたします。
The University of San DiegoのSteven Schoenherrが公開しているRecording Technology Historyなど、技術史関連のソースも幾つか当たりましたし、特に誤った情報はないと思いますが、何かありましたらお知らせください。いずれにせよ、論旨が大きく変わることはないと考えてます。)

2009年10月30日金曜日

3.音響録音再生のデジタル化-2.デジタル録音方式の登場

-レコードとしてのCDからデジタル情報容器としてのCDへ

1.PCM録音システム、サンプリング・テクノロジー


 音のデジタル化という発想の源泉は案外古く、20世紀前半にまで遡る。1939年にアメリカのA・H・リーヴスが、PCM(Pulse Code Modulation パルス符号化変調)という方式を発明したのが最初である。これは、信号伝送にパルスを用いることで雑音その他の影響を受けない通信伝送方式として考案されたものだが、技術的な限界から実用には至らず、理論的にその可能性が予測されたに留まった。その後、このPCM方式は理論的・現実的に改良されていき、1962年に初めて電話の音声伝達のために用いられた。長距離電話で話しやすくなったのも、1969年のアポロ11号による人類史上初の有人月面着陸の映像が地球で明瞭だったのも、このPCM方式のおかげである。このPCM方式を用いて、1965年にNHKはPCM録音機の実験試作を開始し、1966年に試作機を完成し、1967年にステレオ仕様の実験機を公開した。
 世界初のPCM録音レコードは、これを用いて録音され、1971年4月にコロンビアが発売したコンサート録音『打!‐ツトム・ヤマシタの世界』である。1978年に初めて欧米でデジタル録音された最初のレコードが発売され、1983年頃にようやく世界的に(クラシック音楽の分野で)PCM録音が一般化することを考えると、これは極めて先駆的な試みだった。コロンビアは70年代に自社開発によるPCM録音システムを開発し、この録音機を使って、日本のレコード会社としては初めてヨーロッパで自主録音を行った。デジタル録音の登場は、それまで後進国だった日本が録音の世界で初めて先進国となった瞬間なのだ。(日本が初めてデジタル録音方式を実用化したことが強調されているのは、岡1986である。)
 このPCM方式が重要なのは、PCM録音システムだけが、実用化された(ほぼ)唯一のデジタル録音システムだからだ。PCM方式によって、音声などのアナログ信号はデジタル・データに変換される。例えば音楽CDの規格は、サンプリング周波数44.1khz, 量子化ビット数16bitである。この場合、音声のアナログ信号は、1/44100秒毎に(44.1khz)、0~65535に段階分けされて(16bit:2の16乗)、0と1の二進法で記録される。この、1秒間に4万4千1百回、音声を数値化する作業を「サンプリング」と呼ぶ。音声のアナログ信号は、このサンプリング・テクノロジーによって、デジタル・データに変換されるのである。

2.デジタル録音のメリット


 デジタル録音にはアナログ録音には無い利点がたくさんあった。制作者がレコードの原盤を制作する時の利点をあげてみよう。まず、デジタル録音方式では、トラック間の録音と再生のタイミングを完全に同期させることができた。また、機械的な問題がほとんどなくなった。(デジタル再生方式も同様の利点を得ることになった。)例えば、走行系のワウ・フラッター(テープなどの走行の不安定さが原因の音揺れ)などに起因するノイズや音の変調がほとんどゼロになった。またデジタル録音では、0と1の連続さえ正確に保たれていれば半永久的なデータ保存が可能で何度コピーしても音質劣化が生じない。つまり、磁気テープ録音では避けられなかった、トラック間の非同期や磁気変調が原因のノイズがなくなった。またデジタル録音では、サンプリング周波数や量子化ビット数を大きくすることで、記録する音域は格段に拡大できた。音質が目覚しく向上したのだ。(ここで、MIDIを用いた音楽制作から、ProToolsを用いた音楽制作やDTMへの移行について概観したいところだが、その準備はない。管見の限りでは、80年代以降の音楽制作環境の変化について整理している仕事を知らない。ご存知の方がおられましたらご教示お願いいたします。)

3.デジタル録音とデータを記録する媒体


 このように、デジタル録音は過去100年のアナログ録音とは全く異なるものだ。デジタル録音がアナログ録音と決定的に異なるのは、記録されるデータとデータを記録する媒体との関係だ。デジタル録音では、データが記録される媒体は何でも構わないし、逆に、記録媒体はそこに記録されるデータの内容が何でもあっても構わない。それは音でも静止画でも動画でもテキストでも構わない。音楽と記録メディアとの必然的な物理的関連性は消失したと言っても構わないだろう。しかしアナログ録音の場合、記録媒体との結びつきは決定的である。基本的にレコードに記録されるのは音声だけだ。そして何より、アナログ録音は、記録媒体の物質性に縛られている。アナログ録音では、記録された媒体が物質的に変化すると記録された音響も劣化してしまう。そして、録音再生複製伝送等々の全てのプロセスで音声は物理的な接触や摩滅を受けて必ず変質してしまう。
 対してデジタル録音の場合、音の記録は、もはや物質的な媒体に縛られた「モノ(のようなもの)」として存在する必要はない。デジタル録音されたデータはどんな媒体に記録されても構わない。録音再生複製伝送の全てのプロセスで、0と1の配列さえ正しく読み取られれば、記録されたデータが変質することもない。それゆえ、デジタル・データとして記録された音は、何個でも全く同じ複製を作り出すことができる。記録された媒体が物質的に変化すると記録されたデータが変化してしまうのは同じだが、デジタル・データとして記録された音には唯一無二の「オリジナル録音」があるのではなく、全く同じ無数の「コピー」が存在するのである。
 デジタル録音が登場したことで、音声録音・編集技術は、磁気テープとは比べ物にならないくらい消費者のものになったと言えるだろう。初期のデジタル録音は、ヴィデオ・テープ・レコーダーやコンピュータ用データ・レコーダーに記録されていた。消費者がデジタル・データの恩恵に分かり易く与るようになったのは、CDが登場して音響再生がデジタル化されてからだ。また、音声録音・編集技術が個人化したのは(音響録音再生編集テクノロジーが消費者のものとなったのは)、PCにCDドライヴが取り付けられて、人々が、音響をデジタル・データとして取り扱って簡単に音響を録音したり編集できるようになってからだ。それは「レコードとしてのCD」から「デジタル情報の容器としてのCD」への移行として語ることが出来るだろう。

2009年10月23日金曜日

3.音響録音再生のデジタル化-1.アナログ、デジタル

-レコードとしてのCDからデジタル情報容器としてのCDへ

1.アナログな音、デジタルな音


 音とは、空気などの媒体を伝わる振動のうち、人間の耳に知覚されたものである。(人間の可聴域はおよそ20hz-20khzとされる。)時間を横軸に、振幅を縦軸にとることで、この振動は波形で表現できる。正弦波や試験放送の音波などの人工音は規則正しい単純な波形になるが、全ての現実音はたくさんの倍音を含んでおり、かなり複雑で不規則な形の波形となる。
 この複雑な波形の連続的な変化をそのまま記録するのが、アナログ録音である。アナログ(analog)とは「相似、類似の」という意味である。原理的には、エジソンのフォノグラフやパウルセンの磁気録音以来ずっと、音の記録・再生はアナログ方式だった。例えばレコードの音溝には原音の波形の変化がそのまま記録されているし、テープ・レコーダーには、電気信号に置き換えられた音の連続的な変化が、磁性体の微粒子の方向変化として(つまりアナログな変化量として)記録されている。理論的には、波形を記録する装置の精度が高ければ、デジタル録音よりもアナログ録音の方が原音と再生音との誤差を小さくできる。しかし現実には、アナログ録音再生方式ではテープやディスクを走行させる必要があり、録音媒体の運用動作に起因する機械的な問題は避けられないので、デジタル録音以上の高い音質は理論的な可能性でしかない。
 そうしたアナログ方式の限界を克服するものとしてデジタル録音再生方式は登場したと言えよう。デジタル(digital)とは元々ラテン語で「指、指の」という意味だった。数を指で数えるという原義から、連続量を離散的な数値化して処理する方式を意味する。デジタル録音は、連続的に細かく振動している音を、極めて短い時間で瞬間的に区切って記録する(サンプリングする)。「デジタル」録音とは、本来は連続的な現象である音を極めて細かく切り刻み、数値化し、0と1の二進法で記録するものだ。後述するが、デジタル録音再生方式はアナログ録音再生方式とは異なり機械的な問題はあまりなく、音質も格段に上昇し、使用者の利便性も格段に向上した。(アナログ・デジタル録音再生方式に関しては、中村2005や日本音響学会1996といった、音響科学入門書を参照。)

2.音のデジタル化


 音響録音と再生のデジタル化は、まず、1980年代にPCM録音システムというデジタル録音方式が一般化し、次に、CDを用いたデジタル再生方式が一般化することで達成された。CDは、1982年に世界で初めて日本で発売された。そして数年のうちに、レコードにとってかわって主要な音楽再生メディアとなった。CDは、日本では1986年には生産金額でLPレコードを上回り、1989年には音楽ソフトウェア市場の売上の97%以上を占めるに至った。
 登場した直後のCDは、レコードの代替物、「レコードとしてのCD」だった。しかしCDは、0と1という数値で記録できるデジタル情報なら何でも記録できるを規格だったので、音楽以外にも様々な情報を記録できる媒体でもあった。1985年にソニーとフィリップス社が共同でCD-ROM規格を規定し、1988年にはアップルからCD-ROMを扱える民生用ドライブが登場した。1988年にはデータを書き込めるCD-R (Compact Disc Recordable)が開発され、1996年にはパソコン用CD-Rドライブが商品化された。こうして、パソコンとパソコン上でCDに記録されたデジタル情報を個人が利用できる環境が整うことで、CDはデジタル情報を記録するための容器となり、音や音楽は容器に限定されないデジタル情報になった。音楽と記録メディアとの物理的な結びつきが脆弱化したのだ。
 デジタル情報となることで音楽は無限に複製され拡散するものになった。デジタル情報となることで音楽はネットワークの中で流通し、ネットワークに接続できる場所ならどこからでも入手できるものとなった。音楽は「水」のようなものになったとさえ言われるようになったのだ。(「水のような音楽」という発想は、クセック・レオナルト2005から学んだ。)

2009年10月16日金曜日

2.磁気テープの時代-3.個人のための音楽テクノロジー

1.フォノグラフ以来の、個人が利用できる録音テクノロジー


 磁気テープ録音は、フォノグラフ以来の個人が使える録音テクノロジーだった。アメリカでは1950年、イギリスでは1951年に家庭用テープレコーダーが発売された。特に画期的だったのは、1957年にテープ・レコーダーとレコード・プレイヤーが結合した「セレクトフォン」が発売されたことで、ホーム・テーピング(家庭ダビング)の時代が始まったことだろう。つまり、個人が、市販のレコードをテープに録音して自分や友達のために複製を作ったり、好きな曲だけを選んで録音して自分のお気に入りだけ集めたマイ・ベストを作ったりできるようになったのだ。さらに1958年にはRCAヴィクターが本のサイズのカートリッジ式テープを発売し、1963年には後に標準となるカセット・テープを発売した。手軽なカセット・テープが登場することで、テープ録音は、エジソンがフォノグラフに託した口述筆記の夢を(フォノグラフ以来、再び)現実のものとした。磁気テープは、個人が手軽に使える録音テクノロジーだったのだ。
 また、扱いが手軽なカセット・テープは、蓄音機よりも「音楽」を持ち運ぶのに適したメディアだった。磁気テープは録音の敷居を下げただけではなく、聴取の局面でも音楽のモバイル化を促進した。もちろん「音楽のモバイル化」という傾向が明確に生じるのは、1979年にソニーがウォークマンを発売してからである。

2.ウォークマンの登場:音楽経験の個人化


 1979年にソニーは、録音機能なしでは売れないとの社内外の声に反してウォークマンを発売し、大ヒットした。「ウォークマン」とはあくまでもソニーの商品名で多くの国で商標登録されている和製英語だが、今やウェブスター辞典を初めとするたくさんの辞書に掲載されるほど一般化した言葉だ。「ウォークマン」は1980年の三種の神器の一つだったし(他はローラースケートとデジタル・ウォッチ)、その後もソニーがラインナップを拡張していったヒット商品だった。(例えば、1984年にはCDのためのディスクマンが、1992年にはMDウォークマンが発売された。)
 ウォークマンが掲げていたコンセプトは、「いつでも、どこでも、手軽に」音楽を屋外へ持ち出して楽しむことだ。ウォークマンは全く新しい音楽経験をもたらすものだった。ウォークマンを使って歩きながら音楽を聞くこと、例えば地下鉄で、あるいはビルの階段を登りながら、あるいは散歩しながら音楽を聞くこと、それらは、音楽をいつでもどこでも好きな時に聴く、という全く新しい音楽経験だった。ウォークマンは非常に個人的な音楽経験をもたらすものだった。と同時に、それは、全く新しい都市経験をもたらすものでもあった。ウォークマンを使うことで、都市を歩きながら、都市の音ではなく自分が選んだ音楽を聴きながら歩けるようになったからだ。これは都市のサウンドスケープ(音風景)を変化させ、都市経験を自分の好きな音楽に即して分節するものだった。『汚れた血』のアレックスのように、デヴィッド・ボウイのModern Loveを聞きながら夜の街を疾走するのは、現実に可能なのだ。(それでどんな風に都市経験が変わるか変わらないかは、また別の話だ。)(というか、あの場面のBGMは「ラジオの音」という設定だ。)(要するに、音楽を聴きながら町を歩くと町の見え方が違う、という話だ。)ウォークマンは新しい(音楽)文化を作り出したのだ。(ウォークマン登場直後のウォークマン論として細川1981、あるいは、ゲイ2000は、カルチュラル・スタディーズのケース・スタディとしてウォークマンを取り上げたものである。黒木1990は、ウォークマンを実際に商品として売った人物によるドキュメントの一つである。)

3.まとめ


 磁気テープは、音楽を個人化したと言えるだろう。
 磁気テープは、音楽制作を(集団で共同作業できるようにすると同時に)個人化した。磁気テープは、ミュージシャンが個人でホーム・スタジオを持つことさえ可能にしたのだ。また、録音と複製が容易で手軽なカセット・テープという媒体は、大会社を通してレコードを作らずとも、自分が作る音楽を流通させることができる媒体だった。つまり、磁気テープは音楽の流通も個人化するものだったのだ。
 また磁気テープは、音楽の消費も個人化した。LPレコードやラジオなどの再生メディアとテープ・レコーダーを一緒にした家庭用オーディオ・セットが発売されることで、家庭ダビングの時代が始まった。ということは、市販の音楽を自分の好きなように扱えるようになったということだ。自分が好きなように、とは、法律的な是非の問題はともかく、また音質の良し悪しの問題はともかく、色々な音楽をコピーして自分の好きなように並び替えたりといった行為が、個人レベルで可能になったということだ。さらにウォークマンが登場したことで、音楽はいつでも、どこでも、手軽に、そして個人的に消費できるものになった。
 音楽の生産、流通、消費の個人化というこの傾向は、音がデジタル化されることでますます顕著になると考えられるだろう。良し悪しは別にして、テクノロジーは、私たちが音と音楽を好きなように扱う手段を与えてくれる。安易な枠組みかもしれないが、今は、まずは音響テクノロジーの歴史に関する共通理解を設定すべき状況だと思う。なので、以下、この枠組みに基づいて音のデジタル化について整理してみたい。

2009年10月9日金曜日

2.磁気テープの時代-2.テープ編集を多用する音楽制作

1.音楽生産メディアの変化


 音楽を生産して伝達するメディアが変化すると、作られる音楽は変化する。二十世紀以降、新しい楽器と新しい音響録音テクノロジーは音楽制作のあり方を一変させた。とりわけ磁気テープ録音が一般化した1950年代以降、磁気テープ編集を多用する音楽制作がなされるようになった。そこでは幾つかのトラックに別々に録音し、それぞれのトラックに別々にエコー効果を施したり様々な編集を行った後、音量のバランスをとりつつりミックス・ダウンする、といった編集方法が一般化した。例えば、50年代に一般化したテクニックにダブルトラックという方法があった。これは、同じヴォーカル・トラックやギター・ソロを二度以上録音し、それらを重ね録りするテクニックで、ヴォーカル・トラックに用いられた場合、一人でユニゾンで歌っているような効果が生み出せる。例えばバディ・ホリーの1957年の「Words of Love」やビートルズのセカンド・アルバム以降の楽曲の多くのヴォーカル・パートに用いられた。

2.テープ編集を多用する音楽制作


 テープ録音を用いて音楽を制作できるようになったということは、録音可能なあらゆる音を使えるようになったということ、そして、時間を編集できるようになったということである。別々に録音された複数の演奏や録音を、後から編集して一つのトラックにまとめたり、あるいはそのうち一つだけを録音し直す、といった操作を行えるようになったのだ。1960年代に磁気テープを用いた音楽制作は一般化していったが、特に有名な例としてしばしば例に出されるのは、グレン・グールドとビートルズである。(あるいは磁気テープを用いる音楽制作としては、先に1950年代の「具体音楽」と「電子音楽」を参照すべきかもしれない。両者ともに、西洋芸術音楽の20世紀以降の展開である「現代音楽」というジャンルの中の動向として理解すべき音楽だ。しかしコンテクストとは無関係に、電子音響音楽の先駆的存在として言及されることも多い。その出自や目的を解説する余裕はないしこの文章の目的でもないので、詳細はChadabe 1997; Holmes 2002; Manning 2004川崎2006、田中2001等を参照のこと。)
 グレン・グールドは、有名なコンサート・ピアニストとして10年近く活動した後、1964年に「生演奏」から引退し、その後は没年(1982年)まで録音スタジオでの仕事に集中することになった。60年代後半以降のグールドの「アルバム」は、同じ作品を何度か演奏して録音し、それぞれからグールドが良いと判断した部分を抜き出してつなぎ直し、レコード上に最終的な「演奏」を再構築したもの、である。グールドは従来の意味での「演奏」をより完璧なものとして「レコード」上に実現するために磁気テープを使用したと言えるだろう。この意味でグールドの事例は、従来の意味での演奏家の理想(ミスタッチがなく隅々まで意図した通りの演奏)を実現・記録しようとしたものなのだ(グールド1966(1985)やグールド1990参照)。
 また、1962年にデビューしたビートルズも、1966年を最後にライブ演奏をやめ、1970年の解散までの数年間、スタジオで制作した「作品」だけを発表し続けた。ビートルズの多くのアルバムは4トラックのマルチトラックで録音編集されたものだ。なかでも1967年に発売された『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』は、周到なテープ編集を用いて構築された「コンセプト・アルバム」として有名だ。このアルバムでは、手回しオルガンの音を録音したテープがランダムに切り刻まれて貼り合わせられていたり、テープの早回しが重ねられていたり、テープ速度を変えたりずらしたりして作られたグリッサンド(音高が段階的に変化)が用いられている。それらの音素材の準備、編集には、ビートルズの四人だけではなく、プロデューサーのジョージ・マーティンの手が加わっている。磁気テープ編集を用いた音楽制作においては、音楽を演奏してただ録音するだけではなく、演奏以外の音素材も加えて後から編集するという作業が行われるので、最終的な音響結果の制作は、必ずしも演奏家だけが行うわけではない。その意味でビートルズの事例は、磁気テープを用いた音楽制作は(作曲家個人において完結するとされる従来の意味での音楽作品制作(=作曲)とは異なり)集団的な(プロデューサーやエンジニアたちとの)共同作業ともなり得ることを明瞭に示す事例なのだ。(増田・谷口2005では、1950年代の電子音響音楽の電子音楽を「作曲家の夢の実現」として、1960年代のグールドの事例を「演奏家の夢の実現」として、そしてビートルズの事例を「音楽制作の集団化」の事例として言及している。図式的かもしれないが、見通しを晴らしてくれる図式化だと言えよう。またマーティン2002は興味深い回想録である。)

3.音楽生産のための三つのメディア


 クリス・カトラー(音楽家、音楽批評家)は、音楽生産のためのメディアを三つ‐身体、楽譜、録音テクノロジー‐挙げ、それぞれが音楽制作に及ぼす影響について図式的に説明している(カトラー1996)。身体に基づく音楽とは、いわゆる「民族音楽」のことで、これは耳と記憶に基づいて集団的に作られるもので、作曲家と演奏家の区別はまだ無い。楽譜に基づく音楽とは、いわゆる西洋芸術音楽のことで、これは作曲家個人が楽譜に書くことで作られる音楽のことだ。楽譜に書かれることで、音楽は、楽譜が持つ視覚的秩序に従うことになる。例えば、リズムは「水平的」に分割されるし、和声は「垂直的」に重ねられることになる。この音楽では作曲家と演奏家の分業化が推し進められた。
 そしてテープ録音を多用して制作される音楽こそが、カトラーの言う録音テクノロジーに基づく音楽だ。カトラーによれば、この音楽は再び耳に基づいて作られるものとなった。少なくとも五線譜に記譜されるだけで作られるものではなくなった。例えば、音楽作品は五線譜に記譜された段階で完成するわけではなく、演奏を録音した後で様々に編集された後に完成するようになった。「作曲」と「演奏」の分業は再び曖昧化し、演奏は時間の流れから解放されて、音楽制作は音楽スタジオに依存するものとなった。また、後からの編集作業は集団で相談して決めることができるのだから、音楽制作は、個人で完結する「作曲」から、再び集団的な共同作業になることも可能となった。
 カトラーの図式は(問題点も多いが)様々な観点を取り出すことができる有益なものだ。ここでは、音楽生産のためのメディアの変化に伴い音楽制作が従う秩序や音楽制作の主体は変化すること、が明瞭に示されていることを強調しておきたい。
 そして一つの観点を付加しておきたい。カトラーは、磁気テープが音楽制作を集団的な共同作業へと変え得るものであったことは指摘しているが、音楽制作を個人化するものでもあったことはあまり強調していない。例えば複数の楽器演奏を必要とする音楽の場合。楽譜に基づく音楽では、作曲家個人が楽譜に音符を書きつけ(作曲し)、その後、何人かの演奏家がその楽譜を解読して「演奏」しなければいけない。しかし磁気テープを用いれば、必ずしも複数の他人に演奏してもらう必要はなく、一人が何度かに分けて演奏した録音を後から編集して一つのトラックにまとめることで、一人で合奏することも可能となる。極端に言えば、一人が複数の楽器を何度も演奏することで、一人でオーケストラ演奏(のようなもの)を再現することも可能だ。これをカトラーのように、磁気テープとは演奏家のためのメディアだと表現しても良いだろう。しかし同時に、これは、オーケストラや複数の演奏家を利用できない人間でも複数の楽器演奏を用いた音楽を制作することが可能になったのだから、磁気テープは音楽制作を個人化するものだった、と表現しても良いだろう。
 いずれにせよ(集団的な共同作業に変えたにせよ、個人化したにせよ)、磁気テープが音楽生産のあり方を一変させたことは確かだ。音楽は、必ずしも、楽譜に音符を書いて「作曲」する(そして演奏家がその楽譜を解読して演奏する)という手順を踏まなくても作ることができるものになったのだ。