2009年11月13日金曜日

4.MP3と音楽のネットワーク化-1.MP3の登場

1.MP3-小型化したデジタル情報としての音楽


 既に述べたように、「レコードとしてのCD」が「デジタル情報のための容器としてのCD」に変化した原因として、1.CD規格の多様化 と、2.PC+CDドライヴ(PCが装備されて音楽CDをデジタル情報として利用できるようになったこと)、とい二つの要因を挙げることができる。1990年代後半にPC用のCD-Rドライヴが普及してからは、(違法な場合もあるが)個人が、音楽CDを音質劣化なしにコピーしてCD-Rに複製できるようになった。PCを経由することで、CDは、単なるレコードが進化した音楽の記録媒体から、デジタル情報であれば何でも記録できる記録媒体となり、音楽とそれが記録される物理的媒体との結びつきを脆弱化させた。
 音楽をデジタル情報として扱うこうした傾向をさらに推し進めたのが、MP3というファイル形式(あるいはそれ以外のデジタル音声のための圧縮音声ファイルフォーマット)の登場である。今や、PCを用いて音声を再生したことがある人々のほとんど全員が、あるいは、PCを余り使わないとしても多少なりとも音楽に関心があって何らかの音楽ソフトを購入しようとするものなら誰でも知っているであろう「MP3」。MP3の歴史はけっこう古く、70年代には研究が始まり1989年にはドイツで特許がとられている。しかし一般に認知され始めたのは90年代以降だろう。1995年にはPC上でMP3ファイルを再生するソフトウェアが登場し、1998年に特許が解放されて無料でMP3ファイルを再生するプレイヤーが提供され始めたり様々に用いられるようになった、PCやインターネット上で扱われる音楽ファイルのデファクト・スタンダードとなった。
 このMP3というファイル形式の最大の特徴はそのファイル・サイズの小ささだ。MP3というファイル形式は、音声ファイルの音質をほとんど損なうことなしに、音声ファイルのサイズを10分の1程度にまで圧縮することができる。90年代後半まで個人向けHDDの容量は(恐るべき速度で増加していったが)1GB (=1000mb)以下のものが普通だった。圧縮されていない音楽CDの音声ファイルを記録するには一分間に約10mb弱の記憶容量が必要なので、記憶領域が1GBしかなければ、音楽CD音質の音声ファイルはせいぜいCD一枚程度しか記録できない。しかしMP3形式のファイルならば10枚以上記録できるわけだ。MP3というファイル形式(のファイル・サイズの小ささ)は、90年代後半に、PC上でデジタル情報として音楽を扱うために必須の条件だったといえよう。
 MP3というファイル形式のファイル・サイズの小ささは、音楽が流通するやり方に大きな影響を与えた。MP3が登場したおかげで、一般の消費者がデジタル情報としての音楽をインターネットを通じて複製・配布・交換したり、DAP (Digital Audio Player)に記録して外に持ち出せるようになったからだ。非圧縮音声ファイルしかなければ、音声ファイルをインターネット上でやり取りするのも、普通はHDDよりも小さな記憶領域しかないDAPで音声ファイルを扱うのも、約10倍は労力が必要で面倒で難しかったはずだ。MP3のおかげで、音楽は消費者間で複製され配布され交換されるものとなり、ネットワーク化していったのだ。インターネットで流通するにはCD-R代金さえ不要なのだから、MP3は音楽を低価格化させるきっかけになったと言うこともできるかもしれない。

2.MP3-音楽消費の個人化:デジタル情報としての音楽再生


 MP3は個人が音楽を簡単に流通させることができるネットワークを実現しただけではない。MP3は、音楽消費を個人的な趣味志向に従うものへと変えた。MP3は音楽消費を個人化した。三点挙げておこう。
 まず、MP3を用いて音楽を消費することで、物理的な制約がかなり消失する。デジタル情報としてHDDに記録・貯蔵されたMP3ファイルを再生するために、私たちは、いちいちパッケージからCDメディア取り出してCDプレイヤーにセットして再生する必要はない。ただPC上でMP3ファイルを選択してダブルクリックすれば良いのだ。別のミュージシャンやアルバムを聞きたくなれば、別のファイルをクリックすれば良いだけで、わざわざ棚から別のCDを探してくる必要はない。私たちは、CDという物理的な制約を気にせずに、あれやこれやのアルバム、ミュージシャンの曲を好きな順序で聴くことができる。1000枚のCDの全ての曲をランダム再生することも簡単にできるようになったのだ。
 また、MP3にはID3タグという付加情報が組みこまれており、これは音楽CDのTOC (Table of Contet)よりも格段に多い情報量を提供してくれるので、音楽消費を個人化するものとなった。ID3タグという仕様はMP3に初めから組み込まれていたわけではなく、1996年以降に組み込まれた仕様だ。当初は、音楽ファイルの曲名やアーティスト名、アルバム名、ジャンルなど7項目を10-20文字で記録できるに過ぎなかったが、以降、様々なヴァージョンの規格が作られ進化していった。ID3タグを付加情報として持つことで、MP3という音声ファイルは、ファイル名以外の付加情報-アーティスト名、アルバム名、ジャンルなど-に従って音楽を聞くことを可能とするデジタル情報となったのだ。ある一人のミュージシャンのアルバムだけ聞きたい時、もはや、何枚もCDが並んだ棚からそのミュージシャンのアルバムを全て抜き出してCDプレイヤーの横に並べ、一枚ずつ順番に聞いていく必要はない。IC3タグが適切に設定されているMP3を用いれば、簡単にあるミュージシャンのMP3ファイルだけを再生したり、あるジャンルの音楽だけを聴くことができる。例えば「ボブ・マーリー」という名前が設定されているファイルを全て聞くことも、「レゲエ」というジャンルであると設定されているファイルを全て聞くことも簡単に出来るようになる。もはやレコードやCDのライナーノートなどをいちいちチェックする必要はないのだ。(とはいえ、たいてい現実にはそれらのタグ情報が不適切な場合も多いが。)
 また第三に、(WiampやiTunesといった)PC上のオーディオ・プレイヤー・ソフトには、例えば、ある曲の再生回数を記録したり、ジャンルや過去に再生した日時等々の条件に沿って曲を自動的にリストアップするプレイリスト作成機能などを備えているものも珍しくない。インターネット接続環境があれば、その曲の「歌詞」を探したりその曲に関連するミュージシャンの音楽を買えるサイトに1クリックで行けるようになっている場合も多い。今まさに進化中のこれらのソフトの色々な機能を列挙して説明することは避けるが、こうしたソフトを用いた音楽消費はCDメディアを用いた音楽の聴き方とは全く異なるものであり、それがどのようなものになるかはまだ具体的には言えないが、「音楽聴取」に大きくて新しい変化をもたらすものであることは確かだ。
 MP3を用いることで、消費者は好きなように音楽を消費できるようになってきた。私たちはもはや、自分が好きな曲の入っているCDやレコードが棚のどの部分にあるのか覚えておく必要はなくなったし、CDという物理的な単位を超えてある曲とある曲を一つのグループとしてまとめ直すことも簡単にできるし、頑張ってマイ・ベストを作らなくともPC上で音楽再生ソフトが自動的に自分がよく聴く曲をリストアップしておいてくれるのだ。私は半ば無理やりに、事態を肯定的に理解しようとしているかもしれない。こうした「自由」が常に良いとは限らないだろうし、これは「自由」ではなく「MP3というファイル形式」による(一見そのようには見えないが)新しいタイプの「管理」なのだ、と考えることもできるだろう。煩雑かもしれないが実際に物理的なモノを使って何かすることの意味、無数にある音楽の中から苦労して自分のお気に入りを見つけることの価値、そういうものがあることも否定できまい。実際のところ、MP3を用いた音楽消費とは、音楽の付加情報こそがコンテンツとなったという、ある意味、転倒した事態を暗示しているのかもしれない。何にせよ、現在、個人が音楽を自由に好きなように使うテクノロジーと可能性を入手したことは間違いない。私は、今はまず、現状を理解するための枠組みが必要だと考えている。だからまずは、(乱暴で安易かもしれないが)楽観的で肯定的に現状を理解しておくことにしたい。

この部分の参照文献について


この部分は、私個人の経験と解釈に基づく枠組み設定だし、直接的に参考になる文献を見つけられなかったので、あまり参照文献を使用していない。MP3の歴史も各種文献から情報を拾ってきたもので、あまり整理できていない。
また、この「音楽とテクノロジー」を執筆して半年ほど後に、以下の二本のMP3論文を知った。
Sterne2003の後に、Jonathan Sterneは、MP3の文化的起源の探求に取り組んでおり、MP3というファイル形式の文化的背景を音響心理学的なパラダイムに求めているようだ。興味深い論だが、私の枠組みには直接的には影響しないので文献情報を記すに留めておく。スターンの次の本はこの発展となるらしい。

Sterne, Jonathan. 2006a "The MP3 as Cultural Artifact." New Media and Society 8:5 (November 2006): 825-842. http://sterneworks.org/Text/
---. 2006b. "The Death and Life of Digital Audio." Interdisciplinary Science Reviews 31:4 (December 2006): 338-348. http://sterneworks.org/Text/

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