2009年11月27日金曜日

4.MP3と音楽のネットワーク化-3.水のような音楽?

1.とりあえず、まとめ


 音楽のためのメディアは、大まかに、レコード、磁気テープ、CD、デジタル情報(MP3)へと進化してきた。私たち消費者と音楽の間にあるインターフェースの進化を、19世紀以降の音響テクノロジーは音楽を大衆化して個人化したという物語の中で理解してみたい。安易な物語ではあるが、安易だからこそ、今の音楽を取り巻く状況や音響テクノロジーの歴史について考えるための出発点を提供してくれると思う。
 レコードは音楽を小売商品に変えた。レコード産業は音楽産業として成長し、レコードは消費者が音楽に接する身近なインターフェースとなった。レコードの登場は音楽を(楽譜を見ながら家庭で演奏できない人々にとっても)小売商品に変え、個人が家庭で消費できるモノに変えた。レコードは音楽を大衆化したのだ。
 磁気テープは音楽の生産、流通、消費を個人化した。LPレコードやラジオなどの再生メディアとテープ・レコーダーを一緒にした家庭用オーディオ・セットが発売されることで、家庭ダビングの時代が始まった。消費者が自分の好きなように、市販の音楽を扱えるようになったわけだ。さらにカセット・テープ、カー・ステレオ、ウォークマンが登場することで、音楽はいつでも、どこでも、手軽に、そして個人的に消費されるものになった。
 音はデジタル化されることで、音楽の生産、流通、消費の個人化という傾向はますます先鋭化していった。「レコードとしてのCD」が「デジタル情報のための容器としてのCD」に変化することで、音楽とそれが記録される物理的媒体との結びつきは脆弱化し、音楽はデジタル情報として操作されるものになった。そして消費者は、デジタル情報としての音楽を、自分の好きなように扱えるようになったのだ。
 MP3というサイズの小さなファイル・フォーマット(あるいはそれ以外のデジタル音声のための圧縮音声ファイルフォーマット)が登場することで、消費者は格段に容易に、(デジタル情報としての)音楽を取り扱えるようになった。MP3形式のデジタル情報としての音楽は、無限に音質劣化無しに複製されることで、またインターネットのネットワーク上で流通して時間と空間の制限を越えることで、「消費財」としての性格を根本的に変えることになった。今や、(違法な場合も含めて)音楽を入手するコストは限りなく無料に近づきつつあるし、音楽を入手したり音楽が流通する経路は根本的に変化して多様化したのだ。

2.「水のような音楽」


 こうした状況を考えると、今や音楽は「水」のようなものになった、と言っても構わないだろう。(「水のような音楽」というフレーズは、クセック・レオナルト2005が教えてくれたフレーズだ。これは日本の状況を扱うものではないが、インターネット・テクノロジーが浸透した社会における音楽について、明るい未来を描き出してくれている、魅力的な分析だ。)今やインターネットに接続できる環境下なら、安価に(時には無料で)どこからでも音楽を入手できる。インフラさえ整備されていれば、ほとんど無料でほとんどどこからでも入手できるのだから、音楽は水道水のようなものになった、と言っても構わないだろう。(CDやレコードといったパッケージ・メディアは、言わば「瓶詰めのペリエ」だ。)パッケージ・メディアが欲しければ、少しお金を払えば良い。しかし、iPhoneやスマートフォンやケータイを使えば安価に(時には無料で)音楽を入手できる。小売商品としての音楽は「水」のようなものに「も」なったのだ。

3.「水のような音楽」?


 小売商品としてのCDが「水」のように安価にどこからでも入手できるようになったのだとすれば、「パッケージ・メディア」は無くなってしまうのだろうか?おそらく完全になくなることは(少なくともまだ数年は)ないだろう。CD-Rによる複製が可能になりファイル交換ソフトが一般的に知られるようになった頃、CDの売り上げ減少に反応(?)して、「音楽の終焉」が叫ばれたことがあった。(CD-Rの違法複製やファイル交換ソフトの違法な使用のせいで)CDの売り上げが減少し続ければ、「音楽が死んでしまう」というキャンペーンだ。しかしもちろん、CDの売り上げと音楽の生死は無関係だから、音楽が死ぬわけが無い。また、音楽を作ったり演奏したり聴いたりする人間の活動を、何らかのやり方で営利活動と結びつけられなくなることもあるまいから、CDの売り上げがどれほど減少しようとも、音楽産業が死ぬこともあるわけが無い。死ぬとすれば、オンラインを経由せずにパッケージ・メディア販売に「だけ」依存する業態だけだろう。
 目に付くところで言えば、小売商品としてのCDを販売する大型レコード店や町の小さなレコード屋は確実に衰退しつつある。残念ながら、今の町の風景は、私が20前後(今から15年弱前)に知っていた町の風景とは全くの別物である。(中古レコード屋がない、という点で。)おそらく、店舗を構えている町のレコード屋が潰れていく大きな原因は、デジタル販売の増大よりもむしろ、店舗を構えないネット販売にシェアを奪われたからだろう。つまりAmazonなどによるオンライン販売のことだ。実際にモノを取り扱うコストが必要なパッケージ・メディア販売においては、店舗を構えないオンライン販売が有利なことは言うまでも無い。タワレコやHMVといった実店舗を持つ会社もオンライン販売は行っている。そしてまた、オンライン販売を行うとしても、パッケージ・メディアの販売は、デジタル・データの販売とも競合しなければいけない。価格競争の結果、パッケージ・メディアの値段が下がることは、消費者としてはありがたい。(amazonでCDを購入したほうがiTunesStoreで購入するより安い場合も多い。)とにかく、パッケージ・メディア販売に「だけ」依存する業態が難しい状況に追い込まれていくだろうことは確かだ。

 とはいえ、実際のところ、パッケージ・メディアがすぐに消滅することはあるまい。私もまだ、パッケージ・メディアと全く無縁になったわけではないし、(もはやCDを使って音楽を聴くことはほとんどないが)新しい音楽を購入する時にCDを購入することはまだ多いからだ。また、CDを購入してCDで音楽を聴き続けている友人も多い。また、そもそも音楽を水として扱うために音楽配信やネットラジオを利用するには、パソコンや携帯でインターネットに接続する必要があるが、例えば私の高齢の両親や親戚たちが、いまさらパソコンを音楽再生のために日常的に使いこなせるようになるとは思えない。それに日本の場合、(良し悪しは別にして)音楽配信やネットラジオが浸透していくには多くの点で著作権法が障壁となって立ちふさがっている。
 つまり、(少なくともまだ数年は)全ての音楽が水のように扱えるようになることはないだろう。おそらく現状と未来は「多様化した」のだ。

 私が中学生の頃、私が住んでいた地方都市では、町のレコード屋では国内版CDしか買えなかった。高校生になって外資系レコード店が進出して来て、輸入盤を安く簡単に買えるようになった。1994年に大学生になって、私は街の中古レコード屋に通うようになった。しかし1998年に大学院生になってインターネットを使ってamazonでCDを買うようになり、私はほとんどレコード屋に通わなくなった。レンタルCDを借りると、高校生の頃は磁気テープに録音していたが、大学生になってPCを使うようになってからは、MP3形式でPCに保存したりCD-Rにダビングするようになった。あるいは2008年以降、私は、スマートフォンを使い始めるようになり、今は、自分がどこにいても、You Tubeなどに接続して(音質は悪いかもしれないが)ほとんどあらゆる種類の音楽を試聴できるようになっている。(実際に外でスマートフォンを使ってYouTubeに接続することはあまりないが。)消費者としての私にとって、音楽に触れるインターフェースはこのように「多様化」し、あるいは「進化」してきた。
 「現状」を一枚岩として理解するつもりはないし、音楽の未来がどうなるかは、正直、よく分からない。分からないのだから、とりあえずは楽天的に肯定的に考えておきたいと思う。テクノロジーは、100年以上かけて音楽を私たちにとって身近なものにしてくれた。この先も、きっと何か面白いものを経験させてくれるに違いない。

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