2009年10月30日金曜日

3.音響録音再生のデジタル化-2.デジタル録音方式の登場

-レコードとしてのCDからデジタル情報容器としてのCDへ

1.PCM録音システム、サンプリング・テクノロジー


 音のデジタル化という発想の源泉は案外古く、20世紀前半にまで遡る。1939年にアメリカのA・H・リーヴスが、PCM(Pulse Code Modulation パルス符号化変調)という方式を発明したのが最初である。これは、信号伝送にパルスを用いることで雑音その他の影響を受けない通信伝送方式として考案されたものだが、技術的な限界から実用には至らず、理論的にその可能性が予測されたに留まった。その後、このPCM方式は理論的・現実的に改良されていき、1962年に初めて電話の音声伝達のために用いられた。長距離電話で話しやすくなったのも、1969年のアポロ11号による人類史上初の有人月面着陸の映像が地球で明瞭だったのも、このPCM方式のおかげである。このPCM方式を用いて、1965年にNHKはPCM録音機の実験試作を開始し、1966年に試作機を完成し、1967年にステレオ仕様の実験機を公開した。
 世界初のPCM録音レコードは、これを用いて録音され、1971年4月にコロンビアが発売したコンサート録音『打!‐ツトム・ヤマシタの世界』である。1978年に初めて欧米でデジタル録音された最初のレコードが発売され、1983年頃にようやく世界的に(クラシック音楽の分野で)PCM録音が一般化することを考えると、これは極めて先駆的な試みだった。コロンビアは70年代に自社開発によるPCM録音システムを開発し、この録音機を使って、日本のレコード会社としては初めてヨーロッパで自主録音を行った。デジタル録音の登場は、それまで後進国だった日本が録音の世界で初めて先進国となった瞬間なのだ。(日本が初めてデジタル録音方式を実用化したことが強調されているのは、岡1986である。)
 このPCM方式が重要なのは、PCM録音システムだけが、実用化された(ほぼ)唯一のデジタル録音システムだからだ。PCM方式によって、音声などのアナログ信号はデジタル・データに変換される。例えば音楽CDの規格は、サンプリング周波数44.1khz, 量子化ビット数16bitである。この場合、音声のアナログ信号は、1/44100秒毎に(44.1khz)、0~65535に段階分けされて(16bit:2の16乗)、0と1の二進法で記録される。この、1秒間に4万4千1百回、音声を数値化する作業を「サンプリング」と呼ぶ。音声のアナログ信号は、このサンプリング・テクノロジーによって、デジタル・データに変換されるのである。

2.デジタル録音のメリット


 デジタル録音にはアナログ録音には無い利点がたくさんあった。制作者がレコードの原盤を制作する時の利点をあげてみよう。まず、デジタル録音方式では、トラック間の録音と再生のタイミングを完全に同期させることができた。また、機械的な問題がほとんどなくなった。(デジタル再生方式も同様の利点を得ることになった。)例えば、走行系のワウ・フラッター(テープなどの走行の不安定さが原因の音揺れ)などに起因するノイズや音の変調がほとんどゼロになった。またデジタル録音では、0と1の連続さえ正確に保たれていれば半永久的なデータ保存が可能で何度コピーしても音質劣化が生じない。つまり、磁気テープ録音では避けられなかった、トラック間の非同期や磁気変調が原因のノイズがなくなった。またデジタル録音では、サンプリング周波数や量子化ビット数を大きくすることで、記録する音域は格段に拡大できた。音質が目覚しく向上したのだ。(ここで、MIDIを用いた音楽制作から、ProToolsを用いた音楽制作やDTMへの移行について概観したいところだが、その準備はない。管見の限りでは、80年代以降の音楽制作環境の変化について整理している仕事を知らない。ご存知の方がおられましたらご教示お願いいたします。)

3.デジタル録音とデータを記録する媒体


 このように、デジタル録音は過去100年のアナログ録音とは全く異なるものだ。デジタル録音がアナログ録音と決定的に異なるのは、記録されるデータとデータを記録する媒体との関係だ。デジタル録音では、データが記録される媒体は何でも構わないし、逆に、記録媒体はそこに記録されるデータの内容が何でもあっても構わない。それは音でも静止画でも動画でもテキストでも構わない。音楽と記録メディアとの必然的な物理的関連性は消失したと言っても構わないだろう。しかしアナログ録音の場合、記録媒体との結びつきは決定的である。基本的にレコードに記録されるのは音声だけだ。そして何より、アナログ録音は、記録媒体の物質性に縛られている。アナログ録音では、記録された媒体が物質的に変化すると記録された音響も劣化してしまう。そして、録音再生複製伝送等々の全てのプロセスで音声は物理的な接触や摩滅を受けて必ず変質してしまう。
 対してデジタル録音の場合、音の記録は、もはや物質的な媒体に縛られた「モノ(のようなもの)」として存在する必要はない。デジタル録音されたデータはどんな媒体に記録されても構わない。録音再生複製伝送の全てのプロセスで、0と1の配列さえ正しく読み取られれば、記録されたデータが変質することもない。それゆえ、デジタル・データとして記録された音は、何個でも全く同じ複製を作り出すことができる。記録された媒体が物質的に変化すると記録されたデータが変化してしまうのは同じだが、デジタル・データとして記録された音には唯一無二の「オリジナル録音」があるのではなく、全く同じ無数の「コピー」が存在するのである。
 デジタル録音が登場したことで、音声録音・編集技術は、磁気テープとは比べ物にならないくらい消費者のものになったと言えるだろう。初期のデジタル録音は、ヴィデオ・テープ・レコーダーやコンピュータ用データ・レコーダーに記録されていた。消費者がデジタル・データの恩恵に分かり易く与るようになったのは、CDが登場して音響再生がデジタル化されてからだ。また、音声録音・編集技術が個人化したのは(音響録音再生編集テクノロジーが消費者のものとなったのは)、PCにCDドライヴが取り付けられて、人々が、音響をデジタル・データとして取り扱って簡単に音響を録音したり編集できるようになってからだ。それは「レコードとしてのCD」から「デジタル情報の容器としてのCD」への移行として語ることが出来るだろう。

2009年10月23日金曜日

3.音響録音再生のデジタル化-1.アナログ、デジタル

-レコードとしてのCDからデジタル情報容器としてのCDへ

1.アナログな音、デジタルな音


 音とは、空気などの媒体を伝わる振動のうち、人間の耳に知覚されたものである。(人間の可聴域はおよそ20hz-20khzとされる。)時間を横軸に、振幅を縦軸にとることで、この振動は波形で表現できる。正弦波や試験放送の音波などの人工音は規則正しい単純な波形になるが、全ての現実音はたくさんの倍音を含んでおり、かなり複雑で不規則な形の波形となる。
 この複雑な波形の連続的な変化をそのまま記録するのが、アナログ録音である。アナログ(analog)とは「相似、類似の」という意味である。原理的には、エジソンのフォノグラフやパウルセンの磁気録音以来ずっと、音の記録・再生はアナログ方式だった。例えばレコードの音溝には原音の波形の変化がそのまま記録されているし、テープ・レコーダーには、電気信号に置き換えられた音の連続的な変化が、磁性体の微粒子の方向変化として(つまりアナログな変化量として)記録されている。理論的には、波形を記録する装置の精度が高ければ、デジタル録音よりもアナログ録音の方が原音と再生音との誤差を小さくできる。しかし現実には、アナログ録音再生方式ではテープやディスクを走行させる必要があり、録音媒体の運用動作に起因する機械的な問題は避けられないので、デジタル録音以上の高い音質は理論的な可能性でしかない。
 そうしたアナログ方式の限界を克服するものとしてデジタル録音再生方式は登場したと言えよう。デジタル(digital)とは元々ラテン語で「指、指の」という意味だった。数を指で数えるという原義から、連続量を離散的な数値化して処理する方式を意味する。デジタル録音は、連続的に細かく振動している音を、極めて短い時間で瞬間的に区切って記録する(サンプリングする)。「デジタル」録音とは、本来は連続的な現象である音を極めて細かく切り刻み、数値化し、0と1の二進法で記録するものだ。後述するが、デジタル録音再生方式はアナログ録音再生方式とは異なり機械的な問題はあまりなく、音質も格段に上昇し、使用者の利便性も格段に向上した。(アナログ・デジタル録音再生方式に関しては、中村2005や日本音響学会1996といった、音響科学入門書を参照。)

2.音のデジタル化


 音響録音と再生のデジタル化は、まず、1980年代にPCM録音システムというデジタル録音方式が一般化し、次に、CDを用いたデジタル再生方式が一般化することで達成された。CDは、1982年に世界で初めて日本で発売された。そして数年のうちに、レコードにとってかわって主要な音楽再生メディアとなった。CDは、日本では1986年には生産金額でLPレコードを上回り、1989年には音楽ソフトウェア市場の売上の97%以上を占めるに至った。
 登場した直後のCDは、レコードの代替物、「レコードとしてのCD」だった。しかしCDは、0と1という数値で記録できるデジタル情報なら何でも記録できるを規格だったので、音楽以外にも様々な情報を記録できる媒体でもあった。1985年にソニーとフィリップス社が共同でCD-ROM規格を規定し、1988年にはアップルからCD-ROMを扱える民生用ドライブが登場した。1988年にはデータを書き込めるCD-R (Compact Disc Recordable)が開発され、1996年にはパソコン用CD-Rドライブが商品化された。こうして、パソコンとパソコン上でCDに記録されたデジタル情報を個人が利用できる環境が整うことで、CDはデジタル情報を記録するための容器となり、音や音楽は容器に限定されないデジタル情報になった。音楽と記録メディアとの物理的な結びつきが脆弱化したのだ。
 デジタル情報となることで音楽は無限に複製され拡散するものになった。デジタル情報となることで音楽はネットワークの中で流通し、ネットワークに接続できる場所ならどこからでも入手できるものとなった。音楽は「水」のようなものになったとさえ言われるようになったのだ。(「水のような音楽」という発想は、クセック・レオナルト2005から学んだ。)

2009年10月16日金曜日

2.磁気テープの時代-3.個人のための音楽テクノロジー

1.フォノグラフ以来の、個人が利用できる録音テクノロジー


 磁気テープ録音は、フォノグラフ以来の個人が使える録音テクノロジーだった。アメリカでは1950年、イギリスでは1951年に家庭用テープレコーダーが発売された。特に画期的だったのは、1957年にテープ・レコーダーとレコード・プレイヤーが結合した「セレクトフォン」が発売されたことで、ホーム・テーピング(家庭ダビング)の時代が始まったことだろう。つまり、個人が、市販のレコードをテープに録音して自分や友達のために複製を作ったり、好きな曲だけを選んで録音して自分のお気に入りだけ集めたマイ・ベストを作ったりできるようになったのだ。さらに1958年にはRCAヴィクターが本のサイズのカートリッジ式テープを発売し、1963年には後に標準となるカセット・テープを発売した。手軽なカセット・テープが登場することで、テープ録音は、エジソンがフォノグラフに託した口述筆記の夢を(フォノグラフ以来、再び)現実のものとした。磁気テープは、個人が手軽に使える録音テクノロジーだったのだ。
 また、扱いが手軽なカセット・テープは、蓄音機よりも「音楽」を持ち運ぶのに適したメディアだった。磁気テープは録音の敷居を下げただけではなく、聴取の局面でも音楽のモバイル化を促進した。もちろん「音楽のモバイル化」という傾向が明確に生じるのは、1979年にソニーがウォークマンを発売してからである。

2.ウォークマンの登場:音楽経験の個人化


 1979年にソニーは、録音機能なしでは売れないとの社内外の声に反してウォークマンを発売し、大ヒットした。「ウォークマン」とはあくまでもソニーの商品名で多くの国で商標登録されている和製英語だが、今やウェブスター辞典を初めとするたくさんの辞書に掲載されるほど一般化した言葉だ。「ウォークマン」は1980年の三種の神器の一つだったし(他はローラースケートとデジタル・ウォッチ)、その後もソニーがラインナップを拡張していったヒット商品だった。(例えば、1984年にはCDのためのディスクマンが、1992年にはMDウォークマンが発売された。)
 ウォークマンが掲げていたコンセプトは、「いつでも、どこでも、手軽に」音楽を屋外へ持ち出して楽しむことだ。ウォークマンは全く新しい音楽経験をもたらすものだった。ウォークマンを使って歩きながら音楽を聞くこと、例えば地下鉄で、あるいはビルの階段を登りながら、あるいは散歩しながら音楽を聞くこと、それらは、音楽をいつでもどこでも好きな時に聴く、という全く新しい音楽経験だった。ウォークマンは非常に個人的な音楽経験をもたらすものだった。と同時に、それは、全く新しい都市経験をもたらすものでもあった。ウォークマンを使うことで、都市を歩きながら、都市の音ではなく自分が選んだ音楽を聴きながら歩けるようになったからだ。これは都市のサウンドスケープ(音風景)を変化させ、都市経験を自分の好きな音楽に即して分節するものだった。『汚れた血』のアレックスのように、デヴィッド・ボウイのModern Loveを聞きながら夜の街を疾走するのは、現実に可能なのだ。(それでどんな風に都市経験が変わるか変わらないかは、また別の話だ。)(というか、あの場面のBGMは「ラジオの音」という設定だ。)(要するに、音楽を聴きながら町を歩くと町の見え方が違う、という話だ。)ウォークマンは新しい(音楽)文化を作り出したのだ。(ウォークマン登場直後のウォークマン論として細川1981、あるいは、ゲイ2000は、カルチュラル・スタディーズのケース・スタディとしてウォークマンを取り上げたものである。黒木1990は、ウォークマンを実際に商品として売った人物によるドキュメントの一つである。)

3.まとめ


 磁気テープは、音楽を個人化したと言えるだろう。
 磁気テープは、音楽制作を(集団で共同作業できるようにすると同時に)個人化した。磁気テープは、ミュージシャンが個人でホーム・スタジオを持つことさえ可能にしたのだ。また、録音と複製が容易で手軽なカセット・テープという媒体は、大会社を通してレコードを作らずとも、自分が作る音楽を流通させることができる媒体だった。つまり、磁気テープは音楽の流通も個人化するものだったのだ。
 また磁気テープは、音楽の消費も個人化した。LPレコードやラジオなどの再生メディアとテープ・レコーダーを一緒にした家庭用オーディオ・セットが発売されることで、家庭ダビングの時代が始まった。ということは、市販の音楽を自分の好きなように扱えるようになったということだ。自分が好きなように、とは、法律的な是非の問題はともかく、また音質の良し悪しの問題はともかく、色々な音楽をコピーして自分の好きなように並び替えたりといった行為が、個人レベルで可能になったということだ。さらにウォークマンが登場したことで、音楽はいつでも、どこでも、手軽に、そして個人的に消費できるものになった。
 音楽の生産、流通、消費の個人化というこの傾向は、音がデジタル化されることでますます顕著になると考えられるだろう。良し悪しは別にして、テクノロジーは、私たちが音と音楽を好きなように扱う手段を与えてくれる。安易な枠組みかもしれないが、今は、まずは音響テクノロジーの歴史に関する共通理解を設定すべき状況だと思う。なので、以下、この枠組みに基づいて音のデジタル化について整理してみたい。

2009年10月9日金曜日

2.磁気テープの時代-2.テープ編集を多用する音楽制作

1.音楽生産メディアの変化


 音楽を生産して伝達するメディアが変化すると、作られる音楽は変化する。二十世紀以降、新しい楽器と新しい音響録音テクノロジーは音楽制作のあり方を一変させた。とりわけ磁気テープ録音が一般化した1950年代以降、磁気テープ編集を多用する音楽制作がなされるようになった。そこでは幾つかのトラックに別々に録音し、それぞれのトラックに別々にエコー効果を施したり様々な編集を行った後、音量のバランスをとりつつりミックス・ダウンする、といった編集方法が一般化した。例えば、50年代に一般化したテクニックにダブルトラックという方法があった。これは、同じヴォーカル・トラックやギター・ソロを二度以上録音し、それらを重ね録りするテクニックで、ヴォーカル・トラックに用いられた場合、一人でユニゾンで歌っているような効果が生み出せる。例えばバディ・ホリーの1957年の「Words of Love」やビートルズのセカンド・アルバム以降の楽曲の多くのヴォーカル・パートに用いられた。

2.テープ編集を多用する音楽制作


 テープ録音を用いて音楽を制作できるようになったということは、録音可能なあらゆる音を使えるようになったということ、そして、時間を編集できるようになったということである。別々に録音された複数の演奏や録音を、後から編集して一つのトラックにまとめたり、あるいはそのうち一つだけを録音し直す、といった操作を行えるようになったのだ。1960年代に磁気テープを用いた音楽制作は一般化していったが、特に有名な例としてしばしば例に出されるのは、グレン・グールドとビートルズである。(あるいは磁気テープを用いる音楽制作としては、先に1950年代の「具体音楽」と「電子音楽」を参照すべきかもしれない。両者ともに、西洋芸術音楽の20世紀以降の展開である「現代音楽」というジャンルの中の動向として理解すべき音楽だ。しかしコンテクストとは無関係に、電子音響音楽の先駆的存在として言及されることも多い。その出自や目的を解説する余裕はないしこの文章の目的でもないので、詳細はChadabe 1997; Holmes 2002; Manning 2004川崎2006、田中2001等を参照のこと。)
 グレン・グールドは、有名なコンサート・ピアニストとして10年近く活動した後、1964年に「生演奏」から引退し、その後は没年(1982年)まで録音スタジオでの仕事に集中することになった。60年代後半以降のグールドの「アルバム」は、同じ作品を何度か演奏して録音し、それぞれからグールドが良いと判断した部分を抜き出してつなぎ直し、レコード上に最終的な「演奏」を再構築したもの、である。グールドは従来の意味での「演奏」をより完璧なものとして「レコード」上に実現するために磁気テープを使用したと言えるだろう。この意味でグールドの事例は、従来の意味での演奏家の理想(ミスタッチがなく隅々まで意図した通りの演奏)を実現・記録しようとしたものなのだ(グールド1966(1985)やグールド1990参照)。
 また、1962年にデビューしたビートルズも、1966年を最後にライブ演奏をやめ、1970年の解散までの数年間、スタジオで制作した「作品」だけを発表し続けた。ビートルズの多くのアルバムは4トラックのマルチトラックで録音編集されたものだ。なかでも1967年に発売された『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』は、周到なテープ編集を用いて構築された「コンセプト・アルバム」として有名だ。このアルバムでは、手回しオルガンの音を録音したテープがランダムに切り刻まれて貼り合わせられていたり、テープの早回しが重ねられていたり、テープ速度を変えたりずらしたりして作られたグリッサンド(音高が段階的に変化)が用いられている。それらの音素材の準備、編集には、ビートルズの四人だけではなく、プロデューサーのジョージ・マーティンの手が加わっている。磁気テープ編集を用いた音楽制作においては、音楽を演奏してただ録音するだけではなく、演奏以外の音素材も加えて後から編集するという作業が行われるので、最終的な音響結果の制作は、必ずしも演奏家だけが行うわけではない。その意味でビートルズの事例は、磁気テープを用いた音楽制作は(作曲家個人において完結するとされる従来の意味での音楽作品制作(=作曲)とは異なり)集団的な(プロデューサーやエンジニアたちとの)共同作業ともなり得ることを明瞭に示す事例なのだ。(増田・谷口2005では、1950年代の電子音響音楽の電子音楽を「作曲家の夢の実現」として、1960年代のグールドの事例を「演奏家の夢の実現」として、そしてビートルズの事例を「音楽制作の集団化」の事例として言及している。図式的かもしれないが、見通しを晴らしてくれる図式化だと言えよう。またマーティン2002は興味深い回想録である。)

3.音楽生産のための三つのメディア


 クリス・カトラー(音楽家、音楽批評家)は、音楽生産のためのメディアを三つ‐身体、楽譜、録音テクノロジー‐挙げ、それぞれが音楽制作に及ぼす影響について図式的に説明している(カトラー1996)。身体に基づく音楽とは、いわゆる「民族音楽」のことで、これは耳と記憶に基づいて集団的に作られるもので、作曲家と演奏家の区別はまだ無い。楽譜に基づく音楽とは、いわゆる西洋芸術音楽のことで、これは作曲家個人が楽譜に書くことで作られる音楽のことだ。楽譜に書かれることで、音楽は、楽譜が持つ視覚的秩序に従うことになる。例えば、リズムは「水平的」に分割されるし、和声は「垂直的」に重ねられることになる。この音楽では作曲家と演奏家の分業化が推し進められた。
 そしてテープ録音を多用して制作される音楽こそが、カトラーの言う録音テクノロジーに基づく音楽だ。カトラーによれば、この音楽は再び耳に基づいて作られるものとなった。少なくとも五線譜に記譜されるだけで作られるものではなくなった。例えば、音楽作品は五線譜に記譜された段階で完成するわけではなく、演奏を録音した後で様々に編集された後に完成するようになった。「作曲」と「演奏」の分業は再び曖昧化し、演奏は時間の流れから解放されて、音楽制作は音楽スタジオに依存するものとなった。また、後からの編集作業は集団で相談して決めることができるのだから、音楽制作は、個人で完結する「作曲」から、再び集団的な共同作業になることも可能となった。
 カトラーの図式は(問題点も多いが)様々な観点を取り出すことができる有益なものだ。ここでは、音楽生産のためのメディアの変化に伴い音楽制作が従う秩序や音楽制作の主体は変化すること、が明瞭に示されていることを強調しておきたい。
 そして一つの観点を付加しておきたい。カトラーは、磁気テープが音楽制作を集団的な共同作業へと変え得るものであったことは指摘しているが、音楽制作を個人化するものでもあったことはあまり強調していない。例えば複数の楽器演奏を必要とする音楽の場合。楽譜に基づく音楽では、作曲家個人が楽譜に音符を書きつけ(作曲し)、その後、何人かの演奏家がその楽譜を解読して「演奏」しなければいけない。しかし磁気テープを用いれば、必ずしも複数の他人に演奏してもらう必要はなく、一人が何度かに分けて演奏した録音を後から編集して一つのトラックにまとめることで、一人で合奏することも可能となる。極端に言えば、一人が複数の楽器を何度も演奏することで、一人でオーケストラ演奏(のようなもの)を再現することも可能だ。これをカトラーのように、磁気テープとは演奏家のためのメディアだと表現しても良いだろう。しかし同時に、これは、オーケストラや複数の演奏家を利用できない人間でも複数の楽器演奏を用いた音楽を制作することが可能になったのだから、磁気テープは音楽制作を個人化するものだった、と表現しても良いだろう。
 いずれにせよ(集団的な共同作業に変えたにせよ、個人化したにせよ)、磁気テープが音楽生産のあり方を一変させたことは確かだ。音楽は、必ずしも、楽譜に音符を書いて「作曲」する(そして演奏家がその楽譜を解読して演奏する)という手順を踏まなくても作ることができるものになったのだ。

2009年10月2日金曜日

2.磁気テープの時代-1.磁気テープの歴史

1.磁気テープの登場:録音と編集の個人化


 磁気テープ録音の源泉は古く、1898年にワルデマー・パウルセンが特許を得た、テレグラフォンという磁気録音機にまで遡る。これは銅のワイヤーに音声信号の強弱を磁気変化として記録し、その変化に応じて音声を復元する発明だった。この発明は、アメリカとイギリスでワイヤー・レコーダーとして研究され、第二次世界大戦までラジオ放送局や軍で使用されたが、音質は余り良くなかった。ワイヤーではなくプラスティックに磁気録音する方式は、ドイツで開発され、1930年代中頃から実用化されていった。1935年にマグネトフォンという最初のテープ・レコーダーの実用機が作られ、第二次世界大戦中に、連合国軍に対する対敵謀略放送に使われた。この放送を分析したイギリスの専門家は、ノイズの性格からディスクを使ったものでは無いと判断したが、磁気録音を用いたものとは考えなかった。連合国軍が知っていた磁気録音の音質よりも桁違いに優れていたからだ。磁気テープもまた、戦争のおかげで飛躍的に進化したテクノロジーの一つなのだ。
 なので、磁気テープ録音の技術を連合国側が手に入れたのは第二次世界大戦後である。終戦後、連合国側の技術調査団がドイツの技術をアメリカに持ち帰り、アンペックス社がテープ・レコーダー第一号機を開発した。この第一号機に注目したのが、当時アメリカで最も人気のあるタレントの一人だったビング・クロスビーである。彼は自分のラジオ番組のためにテープ・レコーダーを利用し始め、1948年にアンペックスのテープ・レコーダーを入手して使い始めた。各放送局も相次いでテープ・レコーダーを導入し、幾つかの会社が相次いで各社のテープ・レコーダーを発表し、1949年には大手レコード会社が録音時にはテープ・レコーダーを使うようになっていた。
 テープ・レコーダーは、録音のあり方を大きく変えた。それまでラジオ放送やレコード製作で採用されていたダイレクト・ディスク・カッティング方式(ディスクに直接録音する方式)は、すぐにほとんど磁気テープ録音に取って代わられた。磁気テープ録音の音質は優秀だったし、長時間録音できたし、ディスクとは比べ物にならないほど編集が容易だったからだ。磁気テープ録音では、録音可能な周波数帯域は人間の可聴域と同程度にまで拡大されたし、30分以上連続して録音できたし、後から拍手や効果音をダビングしたり、上手く録音できた部分を切り貼りするといった編集が可能だったのだ。長時間録音と高音質録音という特徴を持つ磁気テープ録音は、LPの登場とハイ・フィデリティ熱という第二次世界大戦後のオーディオ史における二大現象の前提条件だった。また、ステレオ・サウンドも最初は磁気テープを通じて個人の家庭に導入されたものだ。
 しかし何より、テープ・レコーダーは、機動性に富んで持ち運び可能なテクノロジーで、録音が簡易化されており、レコードを作ろうと思えばアマチュアでも作れるテクノロジーだったことを強調しておきたい。この時期、それまでは録音されなかっただろうマイナーな音楽を録音する小さなレーベルがたくさん登場している。磁気テープ録音は、小規模なレコード会社や個人でも「録音」を可能とするテクノロジーだったのだ。

2.磁気テープの発展:ホーム・スタジオ


 磁気テープ録音は、フォノグラフ以来の個人が使える録音テクノロジーだ。テープ・レコーダーは、50年代の何人かのミュージシャンたちにとっては、他のミュージシャンの曲を学んだりコピーしたり、自分の音楽を作るための道具となった。例えばR&Bシンガーのチャック・ベリーは、1951年に初めてワイヤー・レコーダーを購入し、次に$79でリール式のテープ・レコーダーを購入した。彼は自分が作った曲をテープ・レコーダーに録音した。彼は録音したテープをチェス・レコードに持ち込んだおかげで、レコードを出せた。彼にとって、「歌を作ること」とは「楽譜に曲を書くこと」ではなく「テープに録音すること」だった。
 60年代には、音楽スタジオでテープ編集を多用する音楽制作が行われるようになった。これについては後述する。60年代には、ミュージシャンたちはただ楽器を演奏するだけではなく、録音エンジニアの技術も身につけることになった。音楽を制作することは、たんに楽器を演奏して曲を書くことだけではなく、音楽スタジオを使って磁気テープを編集することになったのだ。またさらに、テープ・レコーダーはミュージシャンたちがホーム・スタジオを持つことを可能にした。専門的で大規模な録音スタジオ以外にも、ミュージシャンたちは自宅で音楽を録音して制作できるようになったのだ。例えばボブ・ディランは、1967年にNYの田舎に部屋を借りて、2トラックのリール式のリール・テープ・レコーダーを使って、後のThe Bandとともに、後に(大量の海賊盤が出回ったので1975年に)『The Basement Tapes』としてリリースされることになる録音を行った(1950年代から60年代の磁気テープ録音が音楽制作に与えた影響についてはMillard 2000参照)。

3.カセット・テープの登場


 磁気テープは、ミュージシャンがホーム・スタジオで音楽を制作できるようにしたが、そのプロダクションとマーケティングはまだ企業のものだった。作られる音楽は変化したが、依然、録音されたレコードの流通は変化しなかった。1963年にフィリップス社が発売した「カセット・テープ」が、音楽の流通を変化させるきっかけの一つだった。フィリップス社はカセット・テープの特許を独占しなかったので、フィリップス社の規格は他の会社(特に日本の幾つかの会社)に採用されて、60年代終わりまでには標準的なフォーマットとなった。
 カセット・テープが音楽文化を変化させることができたのは、それが手軽な音楽メディアだったからかもしれない。カセット・テープは、片面最大45分の音楽を収録することができたし、取り扱いが容易で複製も録音も簡単にできた。70年代後半にはラジカセ(海外では「boombox」や「ghettoblaster」と呼ばれる)やソニーのウォークマン(1979年)が登場し、カセット・テープは音楽のための標準的なメディアの一つとなった。80-90年代には、カセット・テープは、新しい音楽を売り込もうとするプロモーターが関係者たちにディスクの代わりに渡すデモとなったし、都市文化と結び付けられて例えば黒人文化と結び付けられたりして、音楽文化を変化させた。例えば初期の「ラップ」は、家庭のステレオ・デッキやラジカセのダビング機能を使って作られて流通したジャンルだ。カセット・テープは「ラップ」を作って流通させるための媒体だったのだ。あるいは、インドやアフリカでは、カセット・テープが音楽流通の主要なフォーマットとして機能した。ラジカセは録音と複製が容易だったので、大会社の独占市場の牙城を崩して小さな音楽レーベルが入り込むことを許した。カセット文化は音楽文化を変化させたのだ。(カセットテープが、いわゆる第三国において様々な機能を果たす事例はたくさん報告されている。他に例えばエジプトの事例としてHirschkind2004などを参照。)