2009年10月2日金曜日

2.磁気テープの時代-1.磁気テープの歴史

1.磁気テープの登場:録音と編集の個人化


 磁気テープ録音の源泉は古く、1898年にワルデマー・パウルセンが特許を得た、テレグラフォンという磁気録音機にまで遡る。これは銅のワイヤーに音声信号の強弱を磁気変化として記録し、その変化に応じて音声を復元する発明だった。この発明は、アメリカとイギリスでワイヤー・レコーダーとして研究され、第二次世界大戦までラジオ放送局や軍で使用されたが、音質は余り良くなかった。ワイヤーではなくプラスティックに磁気録音する方式は、ドイツで開発され、1930年代中頃から実用化されていった。1935年にマグネトフォンという最初のテープ・レコーダーの実用機が作られ、第二次世界大戦中に、連合国軍に対する対敵謀略放送に使われた。この放送を分析したイギリスの専門家は、ノイズの性格からディスクを使ったものでは無いと判断したが、磁気録音を用いたものとは考えなかった。連合国軍が知っていた磁気録音の音質よりも桁違いに優れていたからだ。磁気テープもまた、戦争のおかげで飛躍的に進化したテクノロジーの一つなのだ。
 なので、磁気テープ録音の技術を連合国側が手に入れたのは第二次世界大戦後である。終戦後、連合国側の技術調査団がドイツの技術をアメリカに持ち帰り、アンペックス社がテープ・レコーダー第一号機を開発した。この第一号機に注目したのが、当時アメリカで最も人気のあるタレントの一人だったビング・クロスビーである。彼は自分のラジオ番組のためにテープ・レコーダーを利用し始め、1948年にアンペックスのテープ・レコーダーを入手して使い始めた。各放送局も相次いでテープ・レコーダーを導入し、幾つかの会社が相次いで各社のテープ・レコーダーを発表し、1949年には大手レコード会社が録音時にはテープ・レコーダーを使うようになっていた。
 テープ・レコーダーは、録音のあり方を大きく変えた。それまでラジオ放送やレコード製作で採用されていたダイレクト・ディスク・カッティング方式(ディスクに直接録音する方式)は、すぐにほとんど磁気テープ録音に取って代わられた。磁気テープ録音の音質は優秀だったし、長時間録音できたし、ディスクとは比べ物にならないほど編集が容易だったからだ。磁気テープ録音では、録音可能な周波数帯域は人間の可聴域と同程度にまで拡大されたし、30分以上連続して録音できたし、後から拍手や効果音をダビングしたり、上手く録音できた部分を切り貼りするといった編集が可能だったのだ。長時間録音と高音質録音という特徴を持つ磁気テープ録音は、LPの登場とハイ・フィデリティ熱という第二次世界大戦後のオーディオ史における二大現象の前提条件だった。また、ステレオ・サウンドも最初は磁気テープを通じて個人の家庭に導入されたものだ。
 しかし何より、テープ・レコーダーは、機動性に富んで持ち運び可能なテクノロジーで、録音が簡易化されており、レコードを作ろうと思えばアマチュアでも作れるテクノロジーだったことを強調しておきたい。この時期、それまでは録音されなかっただろうマイナーな音楽を録音する小さなレーベルがたくさん登場している。磁気テープ録音は、小規模なレコード会社や個人でも「録音」を可能とするテクノロジーだったのだ。

2.磁気テープの発展:ホーム・スタジオ


 磁気テープ録音は、フォノグラフ以来の個人が使える録音テクノロジーだ。テープ・レコーダーは、50年代の何人かのミュージシャンたちにとっては、他のミュージシャンの曲を学んだりコピーしたり、自分の音楽を作るための道具となった。例えばR&Bシンガーのチャック・ベリーは、1951年に初めてワイヤー・レコーダーを購入し、次に$79でリール式のテープ・レコーダーを購入した。彼は自分が作った曲をテープ・レコーダーに録音した。彼は録音したテープをチェス・レコードに持ち込んだおかげで、レコードを出せた。彼にとって、「歌を作ること」とは「楽譜に曲を書くこと」ではなく「テープに録音すること」だった。
 60年代には、音楽スタジオでテープ編集を多用する音楽制作が行われるようになった。これについては後述する。60年代には、ミュージシャンたちはただ楽器を演奏するだけではなく、録音エンジニアの技術も身につけることになった。音楽を制作することは、たんに楽器を演奏して曲を書くことだけではなく、音楽スタジオを使って磁気テープを編集することになったのだ。またさらに、テープ・レコーダーはミュージシャンたちがホーム・スタジオを持つことを可能にした。専門的で大規模な録音スタジオ以外にも、ミュージシャンたちは自宅で音楽を録音して制作できるようになったのだ。例えばボブ・ディランは、1967年にNYの田舎に部屋を借りて、2トラックのリール式のリール・テープ・レコーダーを使って、後のThe Bandとともに、後に(大量の海賊盤が出回ったので1975年に)『The Basement Tapes』としてリリースされることになる録音を行った(1950年代から60年代の磁気テープ録音が音楽制作に与えた影響についてはMillard 2000参照)。

3.カセット・テープの登場


 磁気テープは、ミュージシャンがホーム・スタジオで音楽を制作できるようにしたが、そのプロダクションとマーケティングはまだ企業のものだった。作られる音楽は変化したが、依然、録音されたレコードの流通は変化しなかった。1963年にフィリップス社が発売した「カセット・テープ」が、音楽の流通を変化させるきっかけの一つだった。フィリップス社はカセット・テープの特許を独占しなかったので、フィリップス社の規格は他の会社(特に日本の幾つかの会社)に採用されて、60年代終わりまでには標準的なフォーマットとなった。
 カセット・テープが音楽文化を変化させることができたのは、それが手軽な音楽メディアだったからかもしれない。カセット・テープは、片面最大45分の音楽を収録することができたし、取り扱いが容易で複製も録音も簡単にできた。70年代後半にはラジカセ(海外では「boombox」や「ghettoblaster」と呼ばれる)やソニーのウォークマン(1979年)が登場し、カセット・テープは音楽のための標準的なメディアの一つとなった。80-90年代には、カセット・テープは、新しい音楽を売り込もうとするプロモーターが関係者たちにディスクの代わりに渡すデモとなったし、都市文化と結び付けられて例えば黒人文化と結び付けられたりして、音楽文化を変化させた。例えば初期の「ラップ」は、家庭のステレオ・デッキやラジカセのダビング機能を使って作られて流通したジャンルだ。カセット・テープは「ラップ」を作って流通させるための媒体だったのだ。あるいは、インドやアフリカでは、カセット・テープが音楽流通の主要なフォーマットとして機能した。ラジカセは録音と複製が容易だったので、大会社の独占市場の牙城を崩して小さな音楽レーベルが入り込むことを許した。カセット文化は音楽文化を変化させたのだ。(カセットテープが、いわゆる第三国において様々な機能を果たす事例はたくさん報告されている。他に例えばエジプトの事例としてHirschkind2004などを参照。)

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