1.フォノグラフ以来の、個人が利用できる録音テクノロジー
磁気テープ録音は、フォノグラフ以来の個人が使える録音テクノロジーだった。アメリカでは1950年、イギリスでは1951年に家庭用テープレコーダーが発売された。特に画期的だったのは、1957年にテープ・レコーダーとレコード・プレイヤーが結合した「セレクトフォン」が発売されたことで、ホーム・テーピング(家庭ダビング)の時代が始まったことだろう。つまり、個人が、市販のレコードをテープに録音して自分や友達のために複製を作ったり、好きな曲だけを選んで録音して自分のお気に入りだけ集めたマイ・ベストを作ったりできるようになったのだ。さらに1958年にはRCAヴィクターが本のサイズのカートリッジ式テープを発売し、1963年には後に標準となるカセット・テープを発売した。手軽なカセット・テープが登場することで、テープ録音は、エジソンがフォノグラフに託した口述筆記の夢を(フォノグラフ以来、再び)現実のものとした。磁気テープは、個人が手軽に使える録音テクノロジーだったのだ。
また、扱いが手軽なカセット・テープは、蓄音機よりも「音楽」を持ち運ぶのに適したメディアだった。磁気テープは録音の敷居を下げただけではなく、聴取の局面でも音楽のモバイル化を促進した。もちろん「音楽のモバイル化」という傾向が明確に生じるのは、1979年にソニーがウォークマンを発売してからである。
2.ウォークマンの登場:音楽経験の個人化
1979年にソニーは、録音機能なしでは売れないとの社内外の声に反してウォークマンを発売し、大ヒットした。「ウォークマン」とはあくまでもソニーの商品名で多くの国で商標登録されている和製英語だが、今やウェブスター辞典を初めとするたくさんの辞書に掲載されるほど一般化した言葉だ。「ウォークマン」は1980年の三種の神器の一つだったし(他はローラースケートとデジタル・ウォッチ)、その後もソニーがラインナップを拡張していったヒット商品だった。(例えば、1984年にはCDのためのディスクマンが、1992年にはMDウォークマンが発売された。)
ウォークマンが掲げていたコンセプトは、「いつでも、どこでも、手軽に」音楽を屋外へ持ち出して楽しむことだ。ウォークマンは全く新しい音楽経験をもたらすものだった。ウォークマンを使って歩きながら音楽を聞くこと、例えば地下鉄で、あるいはビルの階段を登りながら、あるいは散歩しながら音楽を聞くこと、それらは、音楽をいつでもどこでも好きな時に聴く、という全く新しい音楽経験だった。ウォークマンは非常に個人的な音楽経験をもたらすものだった。と同時に、それは、全く新しい都市経験をもたらすものでもあった。ウォークマンを使うことで、都市を歩きながら、都市の音ではなく自分が選んだ音楽を聴きながら歩けるようになったからだ。これは都市のサウンドスケープ(音風景)を変化させ、都市経験を自分の好きな音楽に即して分節するものだった。『汚れた血』のアレックスのように、デヴィッド・ボウイのModern Loveを聞きながら夜の街を疾走するのは、現実に可能なのだ。(それでどんな風に都市経験が変わるか変わらないかは、また別の話だ。)(というか、あの場面のBGMは「ラジオの音」という設定だ。)(要するに、音楽を聴きながら町を歩くと町の見え方が違う、という話だ。)ウォークマンは新しい(音楽)文化を作り出したのだ。(ウォークマン登場直後のウォークマン論として細川1981、あるいは、ゲイ2000は、カルチュラル・スタディーズのケース・スタディとしてウォークマンを取り上げたものである。黒木1990は、ウォークマンを実際に商品として売った人物によるドキュメントの一つである。)
3.まとめ
磁気テープは、音楽を個人化したと言えるだろう。
磁気テープは、音楽制作を(集団で共同作業できるようにすると同時に)個人化した。磁気テープは、ミュージシャンが個人でホーム・スタジオを持つことさえ可能にしたのだ。また、録音と複製が容易で手軽なカセット・テープという媒体は、大会社を通してレコードを作らずとも、自分が作る音楽を流通させることができる媒体だった。つまり、磁気テープは音楽の流通も個人化するものだったのだ。
また磁気テープは、音楽の消費も個人化した。LPレコードやラジオなどの再生メディアとテープ・レコーダーを一緒にした家庭用オーディオ・セットが発売されることで、家庭ダビングの時代が始まった。ということは、市販の音楽を自分の好きなように扱えるようになったということだ。自分が好きなように、とは、法律的な是非の問題はともかく、また音質の良し悪しの問題はともかく、色々な音楽をコピーして自分の好きなように並び替えたりといった行為が、個人レベルで可能になったということだ。さらにウォークマンが登場したことで、音楽はいつでも、どこでも、手軽に、そして個人的に消費できるものになった。
音楽の生産、流通、消費の個人化というこの傾向は、音がデジタル化されることでますます顕著になると考えられるだろう。良し悪しは別にして、テクノロジーは、私たちが音と音楽を好きなように扱う手段を与えてくれる。安易な枠組みかもしれないが、今は、まずは音響テクノロジーの歴史に関する共通理解を設定すべき状況だと思う。なので、以下、この枠組みに基づいて音のデジタル化について整理してみたい。
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