1.音楽生産メディアの変化
音楽を生産して伝達するメディアが変化すると、作られる音楽は変化する。二十世紀以降、新しい楽器と新しい音響録音テクノロジーは音楽制作のあり方を一変させた。とりわけ磁気テープ録音が一般化した1950年代以降、磁気テープ編集を多用する音楽制作がなされるようになった。そこでは幾つかのトラックに別々に録音し、それぞれのトラックに別々にエコー効果を施したり様々な編集を行った後、音量のバランスをとりつつりミックス・ダウンする、といった編集方法が一般化した。例えば、50年代に一般化したテクニックにダブルトラックという方法があった。これは、同じヴォーカル・トラックやギター・ソロを二度以上録音し、それらを重ね録りするテクニックで、ヴォーカル・トラックに用いられた場合、一人でユニゾンで歌っているような効果が生み出せる。例えばバディ・ホリーの1957年の「Words of Love」やビートルズのセカンド・アルバム以降の楽曲の多くのヴォーカル・パートに用いられた。
2.テープ編集を多用する音楽制作
テープ録音を用いて音楽を制作できるようになったということは、録音可能なあらゆる音を使えるようになったということ、そして、時間を編集できるようになったということである。別々に録音された複数の演奏や録音を、後から編集して一つのトラックにまとめたり、あるいはそのうち一つだけを録音し直す、といった操作を行えるようになったのだ。1960年代に磁気テープを用いた音楽制作は一般化していったが、特に有名な例としてしばしば例に出されるのは、グレン・グールドとビートルズである。(あるいは磁気テープを用いる音楽制作としては、先に1950年代の「具体音楽」と「電子音楽」を参照すべきかもしれない。両者ともに、西洋芸術音楽の20世紀以降の展開である「現代音楽」というジャンルの中の動向として理解すべき音楽だ。しかしコンテクストとは無関係に、電子音響音楽の先駆的存在として言及されることも多い。その出自や目的を解説する余裕はないしこの文章の目的でもないので、詳細はChadabe 1997; Holmes 2002; Manning 2004川崎2006、田中2001等を参照のこと。)
グレン・グールドは、有名なコンサート・ピアニストとして10年近く活動した後、1964年に「生演奏」から引退し、その後は没年(1982年)まで録音スタジオでの仕事に集中することになった。60年代後半以降のグールドの「アルバム」は、同じ作品を何度か演奏して録音し、それぞれからグールドが良いと判断した部分を抜き出してつなぎ直し、レコード上に最終的な「演奏」を再構築したもの、である。グールドは従来の意味での「演奏」をより完璧なものとして「レコード」上に実現するために磁気テープを使用したと言えるだろう。この意味でグールドの事例は、従来の意味での演奏家の理想(ミスタッチがなく隅々まで意図した通りの演奏)を実現・記録しようとしたものなのだ(グールド1966(1985)やグールド1990参照)。
また、1962年にデビューしたビートルズも、1966年を最後にライブ演奏をやめ、1970年の解散までの数年間、スタジオで制作した「作品」だけを発表し続けた。ビートルズの多くのアルバムは4トラックのマルチトラックで録音編集されたものだ。なかでも1967年に発売された『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』は、周到なテープ編集を用いて構築された「コンセプト・アルバム」として有名だ。このアルバムでは、手回しオルガンの音を録音したテープがランダムに切り刻まれて貼り合わせられていたり、テープの早回しが重ねられていたり、テープ速度を変えたりずらしたりして作られたグリッサンド(音高が段階的に変化)が用いられている。それらの音素材の準備、編集には、ビートルズの四人だけではなく、プロデューサーのジョージ・マーティンの手が加わっている。磁気テープ編集を用いた音楽制作においては、音楽を演奏してただ録音するだけではなく、演奏以外の音素材も加えて後から編集するという作業が行われるので、最終的な音響結果の制作は、必ずしも演奏家だけが行うわけではない。その意味でビートルズの事例は、磁気テープを用いた音楽制作は(作曲家個人において完結するとされる従来の意味での音楽作品制作(=作曲)とは異なり)集団的な(プロデューサーやエンジニアたちとの)共同作業ともなり得ることを明瞭に示す事例なのだ。(増田・谷口2005では、1950年代の電子音響音楽の電子音楽を「作曲家の夢の実現」として、1960年代のグールドの事例を「演奏家の夢の実現」として、そしてビートルズの事例を「音楽制作の集団化」の事例として言及している。図式的かもしれないが、見通しを晴らしてくれる図式化だと言えよう。またマーティン2002は興味深い回想録である。)
3.音楽生産のための三つのメディア
クリス・カトラー(音楽家、音楽批評家)は、音楽生産のためのメディアを三つ‐身体、楽譜、録音テクノロジー‐挙げ、それぞれが音楽制作に及ぼす影響について図式的に説明している(カトラー1996)。身体に基づく音楽とは、いわゆる「民族音楽」のことで、これは耳と記憶に基づいて集団的に作られるもので、作曲家と演奏家の区別はまだ無い。楽譜に基づく音楽とは、いわゆる西洋芸術音楽のことで、これは作曲家個人が楽譜に書くことで作られる音楽のことだ。楽譜に書かれることで、音楽は、楽譜が持つ視覚的秩序に従うことになる。例えば、リズムは「水平的」に分割されるし、和声は「垂直的」に重ねられることになる。この音楽では作曲家と演奏家の分業化が推し進められた。
そしてテープ録音を多用して制作される音楽こそが、カトラーの言う録音テクノロジーに基づく音楽だ。カトラーによれば、この音楽は再び耳に基づいて作られるものとなった。少なくとも五線譜に記譜されるだけで作られるものではなくなった。例えば、音楽作品は五線譜に記譜された段階で完成するわけではなく、演奏を録音した後で様々に編集された後に完成するようになった。「作曲」と「演奏」の分業は再び曖昧化し、演奏は時間の流れから解放されて、音楽制作は音楽スタジオに依存するものとなった。また、後からの編集作業は集団で相談して決めることができるのだから、音楽制作は、個人で完結する「作曲」から、再び集団的な共同作業になることも可能となった。
カトラーの図式は(問題点も多いが)様々な観点を取り出すことができる有益なものだ。ここでは、音楽生産のためのメディアの変化に伴い音楽制作が従う秩序や音楽制作の主体は変化すること、が明瞭に示されていることを強調しておきたい。
そして一つの観点を付加しておきたい。カトラーは、磁気テープが音楽制作を集団的な共同作業へと変え得るものであったことは指摘しているが、音楽制作を個人化するものでもあったことはあまり強調していない。例えば複数の楽器演奏を必要とする音楽の場合。楽譜に基づく音楽では、作曲家個人が楽譜に音符を書きつけ(作曲し)、その後、何人かの演奏家がその楽譜を解読して「演奏」しなければいけない。しかし磁気テープを用いれば、必ずしも複数の他人に演奏してもらう必要はなく、一人が何度かに分けて演奏した録音を後から編集して一つのトラックにまとめることで、一人で合奏することも可能となる。極端に言えば、一人が複数の楽器を何度も演奏することで、一人でオーケストラ演奏(のようなもの)を再現することも可能だ。これをカトラーのように、磁気テープとは演奏家のためのメディアだと表現しても良いだろう。しかし同時に、これは、オーケストラや複数の演奏家を利用できない人間でも複数の楽器演奏を用いた音楽を制作することが可能になったのだから、磁気テープは音楽制作を個人化するものだった、と表現しても良いだろう。
いずれにせよ(集団的な共同作業に変えたにせよ、個人化したにせよ)、磁気テープが音楽生産のあり方を一変させたことは確かだ。音楽は、必ずしも、楽譜に音符を書いて「作曲」する(そして演奏家がその楽譜を解読して演奏する)という手順を踏まなくても作ることができるものになったのだ。
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