1.レコードと音楽の聴き方の変化
音楽記録済みのレコードが商品となることで、「音楽」の聴き方は変化した。私たちは、家庭で、時には一人で、何度でも繰り返し好きなときに好きな音楽を聴けるようになった。家庭での個人的な音楽消費にはまだせいぜい100年程度の歴史しかないのだ。
だから、レコードは音楽を「大衆化」したのだ、と言って構わないだろう。レコードが登場することで、音楽(西洋芸術音楽に限らず、あらゆる種類の音楽)に触れることができるようになった人口は間違いなく拡大しただろうし、生演奏で聞くことが難しい音楽(あまり演奏されない珍しい曲や時代的に古くてほとんど誰も省みないような音楽や遠い国の音楽等々)にも録音資料を通じてアプローチできるようになった。また、レコード・テクノロジーはそもそもポピュラー音楽に適したテクノロジーだったとも言えよう。というのも、初期のSPの片面の再生時間はせいぜい3-4分だったから、片面の再生が終わるたびに盤を交換しなければいけないクラシック音楽よりも、一曲を3-4分ですませることができる音楽のほうが都合が良いからだ。それにレコード・テクノロジーを使って音楽を楽しむには、楽譜を読んで自分で楽器を演奏する技術は必要がない。そんな文化資本を持たない人々でも音楽を楽しめるレコード・テクノロジーは、本来的に音楽を大衆化させるテクノロジーだったと言えるだろう。
2.家庭での音楽消費
かつて音楽はどこにでもあるものではなかった。コンサート・ホール、宮殿、街の酒場、街角、等々の様々な場所にあるものだったかもしれないが、どこにでもあるものではなかった。少なくとも、どの個人の家庭にも常に音楽があるということはなかった。
個人の家庭の中に入り込んできた音楽として、良家の子女が楽譜を購入して自ら演奏する音楽をあげることができる。これは19世紀に楽譜出版産業と楽器産業が新しい展開を見せた頃に登場したものだ。ピアノが大量生産されて普及し、職業的演奏家ではない人間でも家庭で演奏して楽しめるように、演奏しやすく簡単に書き直された簡易版演奏楽譜が出版されたのだ。勿論、大量生産されたといってもピアノは高級品だったし、ピアノを家庭に置いて演奏できるためにはそれなりの生活の余裕が必要だった。娘にピアノを学ばせることができるということは、新しい資本主義社会の中で新興ブルジョワが獲得した富の象徴であり、19世紀にはまだまだ家庭の音楽は高級品だったのだ(ピアノの歴史については西原1995を、「楽譜産業」については大崎2002を参照)。
そうして家庭に定着していたピアノを、練習せずに手っ取り早く鳴り響かせる発明として自動ピアノを位置づけることができる。1889年に発明された自動ピアノは、紙製のロールに人間の演奏情報をパンチ穴で記録し、その穿孔部を空気圧で読み取ることで、ハンマー等を動作させて演奏を再現できる機械だった。自動ピアノは音量漸増減・速度可変機構などが取り付けられて改良されていき、家庭に音楽を共有する装置として合衆国で1920年代まで流行したが、その後、突然その寿命を終えた(渡辺1996と渡辺1997等を参照)。
自動ピアノはレコードとほぼ同時期に発明されたものだが、両者の機械としての機能とその社会的機能は複雑に交錯するものだった。例えば、自動ピアノは(生楽器を演奏するのだから)再現できる音色は限られているが高音質なのに対し、レコードは、音質は悪くとも、既に存在するあらゆる音を記録してそれを再現するものだった。両者は機械的には単に別のものだったが、いずれも「家庭に音楽を供給する機能」を担うものではあった。そもそも自動ピアノをはじめとする自動演奏機械の歴史は、オルゴールや手回しオルガン以前の古くまで遡るもので、当初は自動ピアノの方が社会的には普及していった。しかし家庭に音楽を供給する機能は、自動ピアノよりもレコードやラジオに受け継がれ、やがては19世紀後半に発明された新しい音響テクノロジーは、音楽文化を根底から覆すことになったのだ。
3.「聴取モード」の変化
記録された音楽を家庭で個人的に何度も聴くことができるようになり、どうなったと言えるか?
音楽を深く聴くモードと軽く聴くモードの両方が行われるようになったと言えるのではないか。前者については、反復聴取を行うことで、それまで聴き取ることができなかった音楽全体の構造を把握するような「構造的聴取」(アドルノ1999b)が容易になったし、記録されなければ気づかなかっただろう音響の細部に集中する聴取が可能になったと言えよう。また後者については、いわゆるBGMとしての音楽聴取の誕生をあげることができよう(ランザ1997)。音楽を聞き流すという贅沢はそれまでもあっただろうし、聞き流される音楽がレコードに記録されたものである必要は無い。すでに1880年代から90年代にかけて、電話回線を通じて音楽を家庭に送信するというサービスが実用化されており、わざわざコンサート・ホールに行かずとも家庭で音楽を聴くことができた(吉見1995)。とはいえ、自分の好きな音楽を自分が好きな時に聴き直すためには、電話線であろうと無線であろうと放送される音楽ではなく、レコードに記録された音楽が必要だ。所有していて何度も聴き直せるからこそ音楽を聞き流すという贅沢が大衆化するには、音響を記録して複製する、「レコード」が登場する必要があったのだ。
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