空に音はあるか?
空に耳をすませば、中学生たちが歌う「カントリー・ロード」以外にも音は聞こえるのか?
詩人の問いかけに対して、身も蓋もない言い方をしてみれば、それは「音」と「空」の定義による。ただ、身も蓋もない言い方をしたつもりでも、この問題についてちょっと考えてみるだけで、「音」という概念はけっこうあやふやなことが分かる。
「音」という概念に「電気信号」概念を関連させるかどうかで、空には音があったりなかったりするのだ。
1.「音」をあくまでも可聴域内の音波(20Hz~20000Hz程度)と考える場合
この場合、空に音があるかどうかは、「空」が音の伝達媒体(空気)を含むかどうかで決まる。つまり、空の中でも空気を含まない部分には音もない。
その「空」が空気を含むかどうかを調べるのは大変だろね。
2.頭の中で想像しただけの「音」も「音」として認める場合
物理的な存在論的基盤を持つかどうかに関わらず「音」が存在するとすれば、そりゃあ、音はどこにでも存在する。
世界中の人々の心の中には常に未来への希望が溢れたファンファーレが流れているのかもしれないし、僕の心の中では最近は常に昨日聞いたデヴィッド・バーンの歌声が流れているし、男と女の間には深くて長い河が流れているのかもしれない。
僕も馬鹿じゃないので、「空に音はあるか?」という詩的な問いかけは、文字通りの「音の存在の有無」を問いかけているのではなく、「空にはXの象徴となるような’音’があって欲しい」というある種の祈りのようなものであることは分かる。Xは「私の日々の生活に潤いをもたらしてくれるもの」かもしれないし「私と私の友人との日々の交流に喜びをもたらしてくれるもの」かもしれない。でも、面と向かって話していない時に詩的な問いかけに応えるつもりはない。
「物理的な存在論的基盤を持たない音=頭の中で想像されるだけの音」ってのは、かなりある。
記憶の中の音は、全てそうだ。誰かが何かを話している様子を思い出している時、頭の中で流れている音は、そうだ。あるいは宇宙空間には土星や金星が動く音が流れているのかもしれないし、映画の中では宇宙空間の中でロケットが発信する爆音が流れてるし、マンガの中にはたくさんの描き文字があるからマンガを読んでいる間の僕の頭の中にはたくさんの音が生み出される。
そういうのを「コンセプチュアル・サウンド」と呼んでおけば、1960年代以降のフルクサスの音楽や、1980年代以降のある種のサウンド・アート(美術館に展示できる、実際には音を出さないサウンド・アート)を考えるのに便利だ。でもそれはまた別の機会に考えることにしたい。
3.可聴域外の電磁波を処理したものも「音」として考える場合
この場合、「空」がなんだろうと「空の音」は存在するし、「宇宙の音」も存在する。(要するに、この投稿ではこの情報を伝えたいのだ。)
例えば
例1:ビッグ・バンの音をモデリングしたもの
http://www.astro.virginia.edu/~dmw8f/sounds/aas/sounds_web_download/index.php
例2:宇宙の音
http://www.spacesounds.com/
:ここからは恐竜の音とかも聞けるけど、どうやって作ったのかはわからない。
例3:オーロラの音
http://www-pw.physics.uiowa.edu/mcgreevy/
http://www.auroralchorus.com/
http://members.tripod.com/%7Eauroralsounds/
:「recordings of VLF ”auroral chorus”」はオーロラの電磁波を処理したもの。(今まで一度も確かめられたことはないけど)オーロラが実際に音を発したという報告はたくさんあるが、これはそうではない。。
つまり、「可聴域外の電磁波」でも「電気的に処理され録音された音」として存在することができる。
この場合、「音」の概念には「電気信号」概念が介在している。(介在し始めたのは1920年代らしい。)電気的に処理された信号を「音」として考えているのだから。
(細かな話だけど、「音」概念の歴史的変遷をきちんと調べた人はいないと思う。なので僕もこれ以上はよく分からない。)
とにかく、「音」の表象は変化してきたのだ。だから「空に音はあるのか?」という問いに身も蓋もない答え方をするのは、なかなか難しいのだ。
4.ちなみに1
「音」として電気的に処理された音を認めてしまうと、例えば「蜂の羽音の録音」とは何か?ということがよく分からなくなる。蜂の羽音は可聴域内の音波だけど、同時に可聴域外の音波も発している。なので、その音波=電磁波が録音機器に影響を与えて、録音時に人間の耳には聞こえていなかった「音」も同時に録音されてしまうから。
5.ちなみに2
宇宙空間には、雷とか空電(Sferics)のような自然現象として「可聴域内の電磁波」もある。それらは、媒体としての空気が存在しないので「音」としては存在しないけど、電気信号として拾われると「音」として現象化する。これらの電磁波は、電話とかラジオの発明以後に初めて「音」として現象化した。
この雑音を初めて聞いたのは、ベルの助手で、後のIBMの社長の父親のトマス・ワトソンらしい。電話交換手の多くがこの雑音を聞いたという記録が残っている。
以上、2004-2005にUC, DavisでDouglas KahnのHistory of Sound in the Artsの授業(1/13/2006: Nature: environmental forces and animals)で、オーロラの音と蜂の音を聞いて考えたことを、missourifeverさんのはてなdiary(5/29/2006)のコメント欄に書き込んだものです。
トマス・ワトソン関連の情報は、その授業でDougがくれたDougのドラフトを参照しました。このドラフトがパブリッシュされたのが、これみたい。→参考:Douglas Kahn: "“Radio was discovered before it was invented,” Relating Radio: Communities, Aesthetics, Access, edited by Golo Fölmer and Sven Theirmann (Leipzig: Spector Books, 2007)."
2009年9月9日水曜日
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